言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

レッスン266「神の子よ、私の神聖な大いなる自己は、あなたの中にそのまま残っています。」

レッスン266「神の子よ、私の神聖な大いなる自己は、あなたの中にそのまま残っています。」 - There Is No Spoon

あなたのすべての子供たちの中に、あなたは反映されており、そして、彼らの中で、私の大いなる自己からキリストが私のことを見つめ返しています。

 

今日、私たちは、と私たち自身の名を呼びながら、楽園の中へと入ってゆきます。

そのとき、私たち各自の中にある私たちの大いなる自己を認めて、の聖なる愛においてひとつに結ばれます。

 は、なんと数多くの救い主たちを私たちに授けてくれていることでしょうか。

 

 

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秋だなぁ~~~

 

人生で出会う人たちの真の姿とは?

人生で出会う人たちの真の姿とは? - There Is No Spoon

もしあなたが耳を澄ますなら、兄弟の中にあなたに告げる何かがあるはずです。

 そして、それこそが兄弟が誰なのかという問いへの答えなのです。耳を澄ましてください。

 

神があなたに何を告げているのか考えてください。

神は、自らを代弁してもらうためにあなたの声を必要としているのです。

 

 

★準備万端の訓練

先週に引き続き、訓練本番です。

 

先週のお客さんがまた閉店時間に来ました。

9時になったので店を閉めたら、

「まだ8時59分なのになんで閉めるの」と。。。

「わたしの時計は8時59分なの」と・・・

それから、もうレジは締めてしまったのに、

どうしてもクレジットで払うから、もう一度レジ開けなさいと。。。

一度締めたレジは明日まで開けられないので、結局、無料にしました。

そして、最後は袋の入れ方も気に入らないと。。。

 

お客さんなので、とにかく謝るしかありません。

 

 

しかし、ちゃんとこのために準備がされていました。

 

出かける前に読んでいた本に

「この世界はゲームのようなもの。ログインしてキャラクターになりきっているだけ」というところを読んだので、まるで自分がゲームの中にいるような感覚になっていました。

 

だからわたし、、、たんなるキャラクターなので、お客さんがどんな難しいこと言っても全然感情が反応しないんです。

 

 

それどころか

今日のレッスン

人生で出会う人たちの真の姿とは? - There Is No Spoon

あなたの許へと送られてくる人はひとり残らずみんな、あなたの患者です。

彼らが送られたその瞬間において、彼らはあなたのことを同じく、もしかしたらそれ以上にすら必要としています。

 

を思い出して、帰り道、お客さんのために祈っていました。

 

 

それ以外わたしは何もしていないんです。

 

だけど、さっきひいたカードは

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「よい働きでした。」

とジーザスはいってくれました。

 

ほんとに何もしなかったんですけど・・・

 

 

内なるガイド

レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる。」 - There Is No Spoon

 

あなたが私に与えてくれた大いなるガイドを通して、そして、その聖霊の知覚を超越して真理へと回帰するためのレッスンを通して、新たな知覚を見出すための手段が私には授けられています。

 

自分が作り出したすべての幻想超越する幻想を私は求めます。

 

今日、私は赦された世界を見ることを選びます。赦された世界では、すべての人たちが私にキリストの顔を見せてくれて、私が見るものは私に属しているのであり、あなたの聖なる子以外には何も存在しないということを教えてくれます。

 

★なんかなぁーー

なんか、

ずっと傍にいた存在に、あらためて”聖霊”という名前がついた時点で、もうひとつ別の存在ができてしまったようで、違和感があったんだ・・・

 


聖霊って、コースを学んでから使うようになった呼び名。
だけど、内なるガイドは、小さいころからずっと傍にいた。
スピジャンでは、よく”内なるガイド”という。
そのほうがまだしっくりくる。

 

 

こうして言葉にすること自体がすごく・・・

違ったものを生み出してしまうようで・・・

最近は・・・・・・・・

 

書いてみたけど、消すことが多くなった。

 

 

 

 

 

ひたすらに信じなさい

T19-1 癒しと信頼 - There Is No Spoon

 

あなたの信頼を向ける対象には、すべての人たちが含まれていなければなりません。

さもなければ、あなたの信頼は限られたものとなり、あなたの献身は不完全なものとなってしまいます。

 

神の子が癒されるのはあなたが彼を信頼し、彼のことを聖霊に委ねて、あなたのエゴが彼に要求することのすべてから彼を解放したからです。

 

私たちが以前に、信頼の欠如は一直線に幻想へと導くと述べたことを見落としてはなりません。

 

 

信頼を与えないようにすることで、あなたは信頼に値しないものを目にすることになるので、その障害を通り越して、その向こう側で自分とひとつに結びついているものを見通すことができなくなるのです。

 

 

★わたしは不信をささやくエゴの声を信じません。

わたしは愛を選択します。

 

 

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わたしは愛すると決める

★わが内なる神よ

内なるガイド、聖霊

あなたにすべて任せます

わたしには一瞬先のことさえ分かりません

ただ、あなたの声を聴き逃すことがありませんように

 

 

T15-7 必要のない犠牲 - There Is No Spoon

 

特別な情関係の乏しい魅力によってつねに不明瞭にされてはいるものの、特別な情関係の向こう側には、神の子を強力に惹きつける大いなる父の魅力が存在します。

 あなたを満足させることのできるは、この神のをおいてほかには何もありません。

なぜなら、神ののほかにはいかなるも存在しないからです。

 神の愛こそ完全に与えられ、完全に報われる唯一の愛です。

 

 

罪悪感の病的な吸引力をありのままに認識する必要があります。

 なぜなら、あなたは自分にとって罪悪感を現実のものにしてしまっているので、罪悪感をはっきりと見据えて、罪悪感に浸ることに注ぎ込んできた思い入れを引き下げることによって、罪悪感を手放せるようになることが絶対に必要だからです。

 

 誰であれ、自分が価値があると信じているものを自ら進んで手放すことを選ぼうとはしません。


 しかし、あなたにとって罪悪感の持つ魅力に価値があるのは、単に、あなたが罪悪感が何であるのかしっかり見据えることなく、まったくの闇の中でその価値を判断してきたからでしかありません。

 

★わたしは怖れというヴェールの奥にある愛を見ます。

 

 

神聖な瞬間を通じて、不可能と思えることでも達成され、それが不可能ではないことが明白になります。

 

 

 

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与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。

 自分が聖霊から受け取りたいと思うものを渡すのを渋ったりしないでください。というのは、与えることで、あなたは聖霊とひとつに結びつくことになるからです。

 あなたが与える解放の水晶のような純粋さの中において、あなたは罪悪感から一瞬のうちに脱出するのです。(T15-1)

 

あなたは神とは想念であるので、神に対するあなたの信頼は共有することによってより強化されるということに感づいているからです。

だから、大いなる父と同じように、あなたは自分自身を完全に与えきりながらも、まったく何も喪失することなく、ただ得るばかりでいることができるのです。

 

神聖な瞬間は、喪失ではなく完成を経験しながら、あなたの兄弟全員をいかにしてあなたの心の中に保持するかを学ぶレッスンとなります。

 これを学んだなら、あなたはただ与えることしかできなくなります。

 そして、これがまさしく愛なのです。なぜなら、ただ与えることだけが神のの下において自然なことだからです。(T15-6)

わたしは愛だけを見ます

 

T12-7 内面を見る - There Is No Spoon

神の子一人ひとりの中に神の祝福があります。そして、あなたが神の子供たちを祝福することにこそ、神のあなたへの祝福が見出せるのです。

 

あなたは自分の期待するものを見ます。そして、あなたは自分が招待するものを期待します。

 あなたが知覚することは、あなたが招待したことの結果です。それは、あなたがそれを呼び求めた通りのものとして、あなたの許へとやってきます。

 

 

つねに忘ずにいてもらいたいのは、あなたは自分の探し求めるものを見るということです。というのは、あなたは自分の探し求めるものを見出すことになるからです。

 

 

エゴは自分が探し求めているものを見出しますが、見出すのはただそれだけです。

 エゴが愛を見出すことはありません。なぜなら、愛はエゴが求めているものではないからです。

 
 しかし、求めることと見出すことは同じであるので、もしあなたが二つの目標を追い求めるなら、あなたは両方とも見出すでしょう。ただし、あなたには両者の見分けがつかないはずです。

 あなたは二つの目標の両方ともを欲するので、あなたには、どちらも同じものに思えてきます。

 

あなたは内面を見て、見るための案内役を選択します。

 それから、あなたは外に目を向け、自分の選んだ案内役の証人たちを見ることになります。

 このようにして、あなたは自分の求めるものを見出すわけです。

 

 

あなたに自分が自分の欲しくないものを投影しているとしか思えないとしても、それでもなお、それは、あなたが確かにそれを望んでいるからなのです。

 

 

癒されるということは、あなたがただひとつの目標だけを受け入れ、ただひとつの目標だけを望むがゆえに、ひとつの目標を追求するということだからです。

 

 あなたがただ愛だけを望むとき、あなたは愛以外には何も見ないでしょう。

 

 

★わたしは愛だけを見ます。

わたしは神の愛だけを求めます。

エゴのプランを手放し、聖霊のプランに従います。

わたしは赦しを選択し、聖なる瞬間を望みます。

 

 

 

 スピジャンp183

わたしたちがやるべきことは、つねに愛を選ぶ練習をすることです。

 

 

全体か個人か

★昨日は閉店間際にお客さんがきて、値段が気に入らないようだった。

店を閉めて帰る時、本来なら

「さぁー、帰れるぞ、明日はホッ金だ」という状態のはずが、なんかスッキリしない。

 

そしたら

「何を大切にするか」

という聖霊からの問いが入った。

その一言の問いの中には「あなたは個人か、それとも全体として本来の存在としてあるか」という多くの意味が含まれていた。

 

帰る間際に来たお客さんに対して、「めんどくさいなぁ、もう閉店時間過ぎてるじゃない。」という想いで対応していた。

 

そうか、ひとつひとつの出来事の中に、その選択が問われているんだな。

あのお客さんはまったくの訓練だったんだな。

 

*用語解説

ホッ金:ホッとする金曜日

 

 

レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる。」 - There Is No Spoon

 

あなたが私に与えてくれた大いなるガイドを通して、そして、その聖霊の知覚を超越して真理へと回帰するためのレッスンを通して、新たな知覚を見出すための手段が私には授けられています。



★今までは試練だったのが、訓練に変わってきたような気がする。

 

 

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神の国と正義をまず求めなさい。

そうすれば、他のものはすべてついてきます。