エネルギーがあるから現象として現れる
★そうか、エネルギーがあるから現象として現れるということか。
今朝の夢
スキー場で1~2歳の男の子を遊ばせていた。
他にも7歳くらいの女の子もいて、
ちょっと安心して、ぶらっと周りを散策していたら
元の場所が分からなくなってしまった。
雪の中を歩いても歩いても、子供たちを置いてきた場所に戻れない。
「どうしよう・・・どうしよう・・・」
「男の子がどっかに行ってしまったら・・・」
一刻も早く戻りたいのに戻れない。
で、目が覚めました。。。
目が覚めても「どうしよう、どうしよう。男の子が・・・・」と、
夢だとわかっていても、男の子を見つけるまではどうにも気持ちが落ち着かない。
神様聖霊様、男の子を助けて
と
でもぜんぜん返答がない。
「助けて」じゃ、だめなんだ。
で、聖霊に「どうしたらいいですか?」と尋ねた。
返答は「エネルギーを見る」だった。
で、”どうしようエネルギー”を「どうしよう、どうしよう」と思いながらも、我慢してじっと見て、感じていた。
そしたら、身体が熱くなってきた。
ああ、これか。(以前にも、エネルギーが昇華するときに、身体が熱くなることがあった。)
神以外の余計なエネルギーがこの現象界を現わしているんだ。
『元波動瞑想』の原理と同じだ。
(『すべてを受け入れて自由になる』金井系一郎)
常に神に意識を合わせていればいいんだ。
そして、ちょっとした違和感や居心地の悪さを感じたら、それを見ればいいんだ。
「あなたに、信じる気持がカラシ種一粒ほどでもあれば、山に「ここからあそこへ移れ」と言うだけでそうなるでしょう。」
レッスン299「永遠の神聖さが私の中にはある。」 - There Is No Spoon
Lesson 150 私の心が抱くのは、ただ神と共に思考する想念だけだ。
レッスン150「レッスン139と140の復習」 - There Is No Spoon
Lesson 150
My mind holds only what I think with God.
私の心が抱くのは、ただ神と共に思考する想念だけだ。
[139]
I will accept Atonement for myself.
私は、自分のために贖罪を受け入れる。
[140]
Only salvation can be said to cure.
ただ救済のみが治癒だと言うことができる。
ACIM workbook136-140 奇跡講座 第2巻136~140日目 - YouTube
(L139 37:35~)
★どこに何を書けばいいのか分からなくなってきたゾ
あっちに書いたりこっちに書いたり、(はてなハイク朗読動画コメント欄(ちっちゃーい四角いマーク)にも書いたりして)→
ごめんな隊<(_ _)><(_ _)><(_ _)>参上
神様聖霊さまの言うとおり~♡~(じつは気の向くまま)
「信じる気持があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。」
★エゴはわたしが神を思い出してしまうことを最も恐れているんだなぁ
だから、なんとかこの世界に引きつけようと、あの手この手を使うんだ。
「わたしの心の中にあるのは、わたしが神とともに考えている思いだけだ 」
聖霊って何なんだろう?
聖霊って何なんだろう? - There Is No Spoon
(奇跡講座マニュアルp180~)
5. You are His manifestation in this world.
あなたは、この世界における聖霊の顕現です。
Your brother calls to you to be His Voice along with him.
あなたの兄弟(奇跡講座では”兄”)は、あなたに自分と一緒に聖霊の声になるようにと呼びかけています。
★朗読を聴いていると、兄弟のことをいっているように受けとれるけど、
本で読んでみると、ジーザスをさしているようだ。
Alone he cannot be the Helper of God's Son for he alone is functionless.
その兄弟(彼)ひとりだけでは、神の子の助けとなることはできません。というのも、彼ひとりだけでは役目を果たすことができないからです。
But joined with you he is the shining Savior of the world, Whose part in its redemption you have made complete.
しかし、あなたとひとつに結びつくなら、その兄弟(彼)は輝ける世界の救い主となります。あなたは救済における彼の役目を完結させることになります。
He offers thanks to you as well as him for you arose with him when he began to save the world.
聖霊は、その兄弟(彼)と同じようにあなたにも感謝を捧げます。それは、兄弟(彼)が世界を救いはじめた際に、あなたが兄弟(彼)と一緒に立ち上がってくれたからです。
And you will be with him when time is over and no trace remains of dreams of spite in which you dance to death's thin melody.
そして、時が終わり、あなたが死の儚いメロディに合わせてダンスをした悪念のこもった夢の数々の跡形も残らなくなったとき、あなたは兄弟(彼)と一緒になることでしょう。
For in its place the hymn to God is heard a little while.
かつてその夢のあった場所では、神への賛美歌をしばらくの間、耳にすることになります。
And then the Voice is gone, no longer to take form but to return to the eternal formlessness of God.
そのあと、もはや形をとることをやめて、その声は去り、神の永遠なる形の無い状態へと帰るだけです。
(ワークブックp513)
目に見えるものや耳に聞こえるものは、恐れを証明するものから愛を証明するものへと変換される
明日のことで悩んではいけません。
明日のことは明日が自然にはからうでしょう。
・・・・・・・・・・・・・・・
(追記)
そうそう、今朝、お盆なので久しぶりに仏壇の前に座った時、
もしかして同じ?って思ったので(でもって、今日のレッスンも聖霊だったので)
調べてみました。
★へえ~、そうなんだ。
「同じなんだよ」って教えてくれたんだね。
うれしいなぁ~~
明日から、ちゃんと仏壇の前に座ろ♡❤♡
ただ本願の力を信じさえしていれば阿弥陀仏が利他力により救済してくれるということ。
※利他=他を益する。他を幸せにする。
真実に生きることは、自力(人間の力・マインド)では不可能であり、ただ阿弥陀仏の本願力に頼るしかないということ。
浄土真宗の念仏「南無阿弥陀仏」。
ハートの基本的なスタンスと少し似てますね。
自分の思考でどうにかしようとしないで聖霊に明け渡し、そして委ねる。
突き詰めていくと、ハートは純粋非二元であり仏教は非二元。
その違いに大きな隔たりはありますが、自力=自分の意識の力(マインド)ではどうにもならないことを認知している点。よすがとするものに委ねようという点については共通認識なのですね。
ハートにおいての“聖霊に委ねる”は、浄土真宗においては“南無阿弥仏”にあたると思います。
★純粋非二元と非二元か・・・