わたしは愛すると決める
★わが内なる神よ
内なるガイド、聖霊よ
あなたにすべて任せます
わたしには一瞬先のことさえ分かりません
ただ、あなたの声を聴き逃すことがありませんように
T15-7 必要のない犠牲 - There Is No Spoon
特別な愛情関係の乏しい魅力によってつねに不明瞭にされてはいるものの、特別な愛情関係の向こう側には、神の子を強力に惹きつける大いなる父の魅力が存在します。
あなたを満足させることのできる愛は、この神の愛をおいてほかには何もありません。
なぜなら、神の愛のほかにはいかなる愛も存在しないからです。
神の愛こそ完全に与えられ、完全に報われる唯一の愛です。
罪悪感の病的な吸引力をありのままに認識する必要があります。
なぜなら、あなたは自分にとって罪悪感を現実のものにしてしまっているので、罪悪感をはっきりと見据えて、罪悪感に浸ることに注ぎ込んできた思い入れを引き下げることによって、罪悪感を手放せるようになることが絶対に必要だからです。
誰であれ、自分が価値があると信じているものを自ら進んで手放すことを選ぼうとはしません。
しかし、あなたにとって罪悪感の持つ魅力に価値があるのは、単に、あなたが罪悪感が何であるのかしっかり見据えることなく、まったくの闇の中でその価値を判断してきたからでしかありません。
★わたしは怖れというヴェールの奥にある愛を見ます。
神聖な瞬間を通じて、不可能と思えることでも達成され、それが不可能ではないことが明白になります。
自分が聖霊から受け取りたいと思うものを渡すのを渋ったりしないでください。というのは、与えることで、あなたは聖霊とひとつに結びつくことになるからです。
あなたが与える解放の水晶のような純粋さの中において、あなたは罪悪感から一瞬のうちに脱出するのです。(T15-1)
あなたは神とは想念であるので、神に対するあなたの信頼は共有することによってより強化されるということに感づいているからです。
だから、大いなる父と同じように、あなたは自分自身を完全に与えきりながらも、まったく何も喪失することなく、ただ得るばかりでいることができるのです。
神聖な瞬間は、喪失ではなく完成を経験しながら、あなたの兄弟全員をいかにしてあなたの心の中に保持するかを学ぶレッスンとなります。
これを学んだなら、あなたはただ与えることしかできなくなります。
そして、これがまさしく愛なのです。なぜなら、ただ与えることだけが神の法の下において自然なことだからです。(T15-6)
わたしは愛だけを見ます
T12-7 内面を見る - There Is No Spoon
神の子一人ひとりの中に神の祝福があります。そして、あなたが神の子供たちを祝福することにこそ、神のあなたへの祝福が見出せるのです。
あなたは自分の期待するものを見ます。そして、あなたは自分が招待するものを期待します。
あなたが知覚することは、あなたが招待したことの結果です。それは、あなたがそれを呼び求めた通りのものとして、あなたの許へとやってきます。
つねに忘ずにいてもらいたいのは、あなたは自分の探し求めるものを見るということです。というのは、あなたは自分の探し求めるものを見出すことになるからです。
エゴは自分が探し求めているものを見出しますが、見出すのはただそれだけです。
エゴが愛を見出すことはありません。なぜなら、愛はエゴが求めているものではないからです。
しかし、求めることと見出すことは同じであるので、もしあなたが二つの目標を追い求めるなら、あなたは両方とも見出すでしょう。ただし、あなたには両者の見分けがつかないはずです。
あなたは二つの目標の両方ともを欲するので、あなたには、どちらも同じものに思えてきます。
あなたは内面を見て、見るための案内役を選択します。
それから、あなたは外に目を向け、自分の選んだ案内役の証人たちを見ることになります。
このようにして、あなたは自分の求めるものを見出すわけです。
あなたに自分が自分の欲しくないものを投影しているとしか思えないとしても、それでもなお、それは、あなたが確かにそれを望んでいるからなのです。
癒されるということは、あなたがただひとつの目標だけを受け入れ、ただひとつの目標だけを望むがゆえに、ひとつの目標を追求するということだからです。
あなたがただ愛だけを望むとき、あなたは愛以外には何も見ないでしょう。
★わたしは愛だけを見ます。
わたしは神の愛だけを求めます。
エゴのプランを手放し、聖霊のプランに従います。
わたしは赦しを選択し、聖なる瞬間を望みます。
スピジャンp183
わたしたちがやるべきことは、つねに愛を選ぶ練習をすることです。
全体か個人か
★昨日は閉店間際にお客さんがきて、値段が気に入らないようだった。
店を閉めて帰る時、本来なら
「さぁー、帰れるぞ、明日はホッ金だ」という状態のはずが、なんかスッキリしない。
そしたら
「何を大切にするか」
という聖霊からの問いが入った。
その一言の問いの中には「あなたは個人か、それとも全体として本来の存在としてあるか」という多くの意味が含まれていた。
帰る間際に来たお客さんに対して、「めんどくさいなぁ、もう閉店時間過ぎてるじゃない。」という想いで対応していた。
そうか、ひとつひとつの出来事の中に、その選択が問われているんだな。
あのお客さんはまったくの訓練だったんだな。
*用語解説
ホッ金:ホッとする金曜日
レッスン269「私の視覚は、キリストの顔を見るようになる。」 - There Is No Spoon
あなたが私に与えてくれた大いなるガイドを通して、そして、その聖霊の知覚を超越して真理へと回帰するためのレッスンを通して、新たな知覚を見出すための手段が私には授けられています。
★今までは試練だったのが、訓練に変わってきたような気がする。
神の国と正義をまず求めなさい。
そうすれば、他のものはすべてついてきます。