言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

 

 

T30-7 自分で書いてるつもりの人生の脚本を捨てられる? - There Is No Spoon

 

 ひとつの共通の目的を持つことだけが、知覚を安定させ、この世界とこの世界におけるすべての経験について、ただひとつの解釈を与えられるようにするための唯一の手段です。

 

あなたは価値判断する必要はありません。

というのは、あなたはすべてのものにひとつの意味が与えられていることを学んだからです。

 

価値判断からの解放は、単純に次のことの中にあります。つまり、すべてのものにはただひとつの目的しかなく、その目的をあなたは全世界と分かち合っているということです。

 

聖霊目標は、あなたにとってもあなたの兄弟にとっても意味がある唯一の解釈を与えてくれます。

 

それによって、あなたは兄弟コミュニケーションができるし、彼もあなたとコミュニケーションができるようになります。

 

ただ赦しの夢だけが分かち合うことができます。

赦しの夢はあなたと兄弟の両方にとって同じ意味を持つからです。

 

そして、聖霊象徴を用いることを通じて私たちはひとつに結ばれたので、象徴は私たち全員にとって同じ意味を持つことになります。

 

私たちの共通の言葉によって、私たちは兄弟全員と話せるようになり、兄弟みんなと一緒に、赦しが自分たち全員に与えられていることを理解できるようになります。こうして、私たちは再びコミュニケーションを取ることができるようになるのです。

 

 

T30~ 

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あなたはただ、私の例ほど極端ではないとしても、誤って知覚しそうな誘惑に面したときに、私の実例に倣うように、そして、その誘惑を怒りを感じる正当な理由だと間違って受け入れたりしないようにと求められているだけです。


私の兄弟たちが、ただひとつの大いなる声だけを聞くという私の決断を分かち合おうとしないとき、私は残念に思います。なぜなら、ひとつの大いなる声だけを聞こうとしないことが、教師として、そして、学ぶ者としての彼らの力を弱めてしまうからです。


このことに選択の余地はありません。なぜなら、あなたがただけが神の教会の土台になることができるからです。


教会とは祭壇のある場所を指します。そして、その祭壇の存在こそが教会を神聖なものにします。

 

私は、このことが極端な事例においてさえも真実であると示すことを引き受けたのです。それはひとえに、それほど極端ではないにせよ、怒ったり攻撃したりしたくなるような誘惑に駆られる者たちにとって、私の実例がよい教えの助けとして役に立つはずだからです。

 

キリストの磔刑は、分かち合うことはできません。なぜなら、それは投影の象徴だからです。しかし、復活は、分かち合いの象徴です。なぜなら、神の子全体が自らの完全さを知るためには、一人ひとりの神の子がみんな再び目覚めることが必要だからです。


キリストの磔刑の伝える次のメッセージは完全に明瞭なものです。


愛だけを教えなさい。というのも、あなたは愛そのものだからです。


磔刑のメッセージ全体が伝えようとすることを単純に言うならば、私は裏切りを信じてなどいなかったということになります。

 

神の子同士がお互いに与える影響力には限りがありません。そして、その影響力は彼らが一緒に救済されるためにこそ用いられるべきものです。

神の子の一人ひとりは、どんな形であれ、拒絶することは無意味であると教えることを学ばなければなりません。

分離とは、拒絶するという観念です。

あなたが拒絶することを教えるかぎり、あなたは分離を信じることでしょう。

 

聖霊は、父なる神と分離した神の子たちとのコミュニケーションの絆であることを思い出してください。

 

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イエシュアの手紙

 

 

 

私は人ではないの?私とは何? - There Is No Spoon

 

あなたと私で一緒に神に捧げたこの一年の最後の数日に、私たちは自分たちが分かち合うただひとつの目的を見つけました。

 

こうして、あなたは私とひとつに結ばれたので、私の真の姿は同じようにあなたの真の姿でもあるのです。

 

 

 私たちは、世界の救い主としての役目を受け入れます。

この世界は、私たちがひとつに結びついて赦すことで救われます。

 

そのために、この赦しという贈り物が私たちに与えられているのです。

 

 

私たちの目は、それを通して、キリストのヴィジョンがあらゆる罪の思いから救われた世界を見るための目となります。

 

私たちの耳は、神を代弁する大いなる声が、世界を罪の無いものとして高らかに宣言するのを聞く耳となります。

 

私たちの心は、私たちが世界を祝福するにつれて一緒になってひとつに結びつきます。

 

 

 

<イエシュアの手紙>(p116)

全くの躊躇もなく

「わたしと父は一つである」と言うことを

自分に許すことができる。

 

人は、この明らかなる真実の意識において受け入れた時、

御国に入ることができる。

それは、自分に課した限界を手放すことを意味する。

 

「闇」と言う言葉を

わたしがいつも怖れと同じ意味としていることを

明確にしておく。

それはあなたが創造した

一つのエネルギー形態であると言えるであろう。

御国にはそれは存在しない。

 

あなたは完全に愛されている。

あなたは、罪を犯したことはない。

 

 

p118

あなたが夢見るものは何であっても、

わたしたちは目覚めのメカニズムとして使う。

 

もしあなたが白いカーペットの上を

泥にまみれた足でとぼとぼと歩いたとしても、

わたしたちはそれを絶妙な美しさのタペストリーに変容させる。

必ずあなたの注意をひくように。

 

御国の調和とはこういうものである。

夢見る人が、眠りから目覚めるための

優しい促しでないものは

絶対に存在しない。