花岡修平さん
https://shikoutoshi.hatenablog.jp/entry/2020/04/18/150208どうであれ、我々は与えられる立場でしかありません。与えられた以上、みこころのままに、それを受け入れるしかありません。今までは与えられた事に対して、「そうではいけない」「こうであるのが…
// shikoutoshi.hatenablog.jp あなたはただ、「見る者」です。 その立場で、全てを検証するのです。 世界がほんとうに有るのかどうか、検証するのです。 「わたし」がほんとうに有るのかどうか、検証するのです。 「見ている者」は「わたし」を見ています。…
// 何も心配することなどない 花岡修平 「真我が目覚める時」 - わたしの終わり 何も心配することなどない 人は神に近づき、彼を知った後でも、この世に生活する。 その時には全く無執着の生活をすることが出来るのです。 そのような人は、意識の大部分を神…
// 「信じるちから」と「わかるちから」 花岡修平 「真我が目覚める時」 - わたしの終わり 信じる事と、わかる事の、この全く異種の受け取り方を、我々は思い起こさなければなりません。 信じるとは、自我の思考に他なりません。言葉と思考を用いて、信じる…
// 清らかな者 花岡修平 「真我が目覚める時」 - わたしの終わり 自己保存を完全に手放すなら、それが清らかな事なのです。 罪を犯す事があったろうが無かったろうが、その要素を持ち、発動させる可能性を隠し持っている者と、大きな罪を犯したとして二度と…
// shikoutoshi.hatenablog.jp 苦痛を感じているのだから、苦痛はあるのだ、でいいのです。 ただ、なぜ苦痛と感じているのかを、見破り知っている必要はあります。 真実を受け入れる事無しに、価値基準を疑う事無く、その基準とズレていると思うから苦痛が現…
★昨夜、仕事帰りの車の中で、この言葉がきてから消えない。 神から分裂した(と思った)とき、この言葉が危険信号の警報ブザーのように鳴っていたのだろう。 今、また、この言葉が来たのは、鏡の世界から抜け出そうとしている今、再び、「振り返ってはならな…
↑いきなり、「なんじゃそりゃーーー!!」の題ですよね。 これは前に一度timelogの朝の一言に書いたのですが・・・ たぶん、ほとんどの人に「またなんか訳のわからんこと言っとるわい」とスル―されていると思うので、もう一度書く。(笑) ヘミシンクの『オー…
// T22-2 あなたの兄弟が無罪であること - There Is No Spoon ひとつでも幻想を大切にして、それを真理に対抗して防衛するなら、それがすべての真理を無意味にし、すべての幻想を本物にしてしまいます。 そして、潔白さを信頼したとしても、もしその信念がひ…
その愛に満たされなさい。それを受け入れ、全てをまかせなさい。やろうとしてやってはいけません。やりたいときに、やりなさい。間近になった者は、一日に何度でもそうしたくなります。何度でも逢いに行きたくなります。そうなったら、そうしなさい。これは…