無条件の愛
誰がいなくとも、あなたはもともと愛そのものです。
「無条件の愛」とは、もともとあなたそのものであり、そのことに恋人は必要ありません。愛そのもののあなたが、愛を感じるのに他人は必要ないのです。そのことを思い出させるために、そのことに気付くために他人が存在しているだけです。
他人とは内なる巨大な愛を取り戻すきっかけでしかありません。
このことを思い出すのが人生ゲームです。
このことを思い出し、あなたが「無条件の愛」そのものとして生きたとき、あなたにはもはや肉体は必要ないかもしれません・・・。
いや、私にはとてもそんな生き方は出来ないと嘆く必要もありません。もともとそうであるあなたは、今は単にゲームの途中であり、難解なゲームにチャレンジ中なのですから、高度肉体ゲームをそんなに焦って終わらせる必要もないでしょう。
せっかく入った地球というゲームセンターです。何も急いで出る必要はないでしょう。子供のように、遊び疲れるまで遊べばいいのです。
他人がいて愛に気付きます。元々内側にあった愛に、他人を反映して気付きます。
冷めてきた愛の昂揚感を再び体験したいと、今度は別の人に新たなときめきを求めます。この人こそ絶対であると思った人との愛もやがては必ず冷めてきます。
愛はあなたの外側にあるわけではないのですから。あなたが感じる愛の悦びは、他人が外から運び込むものではなく、あなたの選択によって、あなた自らがその内側から引き出しているのだと気付くまであなたのゲームは続くわけです。
そしてあなたのエゴが、無条件の愛に目覚めるゲームが開始されました。
あなたは無限です。
このことを信じることがチャレンジです。
たしかにやさしいことではありません。しかし難しいからこそ、この旅が価値に満ちたものとなるのではないでしょうか。
我々の求めるべきものは異性ではありません。
真に求めるべきものは我々の源であります。
それに気付くために異性があるようです。内なる異性を統合し、大いなる我を求める時、無条件の愛を思い出します。
内なる無条件の愛に触れたとき、人は無条件に今ある現実を受け入れるようになります。今、このままが最もいいことが解ります。聞くこと、見ること、感じることの全てが、良きことのみであったことに気付きます。
そんなあなたにどんな問題もあろうはずがありません。リラックスし、起きてくることを起きて来るままに楽しみます。
人や現実を操作しようという気持が起きなくなります。委ねきります。逆説的のように聞こえますが、この時あなたは進化の最短距離をたどり、昇り始めます。