癒された関係
神聖な関係は、実相世界を知覚するための主要な一歩であり習得されるものである。
それは古くからの非神聖な関係が変容し、新たな見方で見られたものである。
難しいのはその最初の段階だけだという点である。
というのは、最初の段階でその関係のゴールが、突然それまでとは正反対のものに転換させられるからである。
それによりその関係には動揺や不和やかなりの苦悩さえ伴うかに見えてくる。
多くの関係がこの時点で崩壊し、もとのゴールの追求(非神聖な関係)が別の関係の中で再現されてきた。
なぜなら、ひとたび聖性というゴールを受け入れた非聖性な関係は、二度と再びもとの状態には戻れないからである。
自我からの誘惑は、このゴールの転換に伴って極度に激しくなる。
なぜならその関係はまだ、以前のゴールが完全に魅力を失うところまで充分に変わっていないの・・・・・
そのゴールに合わせてその関係を変える以外に道はない。
その関係は次第に温和で喜ばしいものになっていく。
今こそ信が求められるときである
試練の時のごとく見える今こそ、あなたの兄弟に信を抱きなさい。
ここで自我は次のように忠告してくる。
「別の関係をこの関係の代替としなさい」
「兄弟を追い払うことによってのみ、あなたは苦悩から逃れることが出来る」
「・・・・」
今、このようなことに耳を傾けてはならない!
今,聖霊も兄弟も見捨ててはならない。
あなたの関係は引き裂かれたのではない。
それは救われたのである。