何があっても天国にいる
香港さん、9.24
数か月前の僕なら、こういう光景を見たときに、
心の中から自然と湧き上がってくる分離の想いを、
一生懸命聖霊に明け渡していたのだろうが、
今回はもう、聖霊兄貴を想いだした途端、
この資材部長が〝何もしていない愛おしい存在〟
として知覚されてきて、この何も起こっていない空間に
天国が重叠しているのを観ていた。
まあ、いろいろごちゃごちゃ書いてはいるが、
要はどんな時も聖霊を思い出していられるかどうか、
ということなのだ。
〝赦すのだ。〟
〝全部聖霊に委ねきろう。〟
〝わたしには分かりません、聖霊お願いしまーす。〟
〝兄弟は何もしていない、世界はない。〟
〝エゴは実在しない。自分は騙されているのだ。〟
などなど…。
しかし、日常生活で、そんなことを24時間、
唱え続けてられない。(やってたけど…。)
なので、まずはただ、
「僕は今、聖霊を思い出しています。以上!」でいい。
聖霊を思い出している〝感じ〟と共に過ごすのだ。
この肉体の自分が聖霊を思い出している、
ということは、決断の主体が聖霊を選んでいる、
ということでもある。
まずは、そこに留まり続ける。