今、起こること、すべてが聖霊の訓練
(香港さんのブログより ↑ 抜粋)
エゴを選んでしまったという、
強烈な罪悪感と後悔の思いに襲われたのだ。
〝自分はエゴの幻想を実在化させてしまった。〟
〝赦したつもりでいて、本当は赦せてなかった。〟
〝まだそこに他者の肉体が実在すると思っている。〟
〝エゴの罠にはまってしまったんだ。〟
毒素のように不快な感情の塊りが、
どくどくとみぞおちの辺りから噴出してくる。
それでも、出てくるものは仕方がない。
帰りの地下鉄の中で、ずっと目を閉じたまま、
その毒素のような思いの流動を見つめつつ、
聖霊兄貴に〝訂正!訂正!〟と委ねていた。
そして、
自我による襲撃の発作がマックスに達した時、
聖霊の声が聞こえてきた。
「過去に何を言ったかは関係ない。
自分で何かをしてしまったと正当化してはいけない。
いま、差し出されているものをただ赦しなさい。」
朝、僕が終わったと思っていたものを、
聖霊はわざと夕方にも見せ、
赦しを促したのだと思った。
それは、僕が赦せているかを試す為ではない。
僕に本当の赦しをさせ、捧げさせるためだったのだ。
ただ、兄貴を信頼して、いまやってきているものを
ただ、委ね、明け渡し、赦せばそれでいいのだ。
もう、ここまで来るとエドモンドはどうでもいい。
たまたま僕が、自分の心を彼に投影したに過ぎない。
重要なのは今を使って心の中の罪悪感を捧げることだ。
こうやって少しずつ心を訓練してゆくのだ、と思った。
★本当に他者はいなくて、聖霊がエゴを訂正するためのバーチャル映像世界なのかもしれない。