言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

L182 私は一瞬の間静まり、家に帰る。

彼(幼子)が自分の家である平安の中で、沈黙と平安と愛に包まれて安らぎ、彼自身でいられる少しの時間を彼に与えてあげなさい。

 

彼は我が家のことを絶え間なくあなたにささやき続ける。
あなたを一緒に連れ帰りたいからである。

 

彼は切実にあなたに呼びかけるので、あなたはもはや彼に抵抗しなくなるだろう。
その瞬間に彼はあなたを我が家へと連れ帰る。

 

恐れや疑いとは無縁の、言葉につくせない完璧な静寂と沈黙と平安の中で、あなたは家に帰ったという素晴らしき確信を得て、彼とともにとどまるだろう。

 

★止まらない
全部書き写したいくらいだ。

今日のレッスンは読んでいて、何度も胸にこみ上げてきた。
今までにも何度かこのレッスンは読んだと思うのだけど、線が引いてある箇所でないところに感動したりする。

 

 

 

<いつもの独り言>
これを書こうとするとガラリと波動が変わる
ここからは読まなくていいです。と書きたい気もする。
(なんでだろう?
たぶん
どうせ変化する想いだし、消えていくものだから
そして、偽りの言葉だと気づいてるから)


いままでの愛と思っていたものは一体何だったのだろう。
エゴそのもの
相手などどうでもいい。
自分さえ気分がよければ。        
テレビドラマの愛なども同じだ。

涅槃さんも以前、「この世の愛は、愛ではなく憎しみだ」と言ってみえた。
本当にそうだ。

最近、聖霊に、神のように愛するとはどういうことですか?と聞くことが多くなった。
昨晩、そして今朝も、今までにない愛の感覚が起こり

なんだろう・・・
と一瞬思ったら

 

愛さずにいられない

という言葉が浮かんだ。

 

愛する、ではなく、
神も、神の子である私たちも、愛そのものなのだから、
言葉にすると「愛さずにはいられない」という表現になるのかな

ほんとうの神の愛など、きっと想像もつかないものなのだろう。

ほんの少しでも、神の愛をエネルギーとして受け取ることは
この肉体には、耐えられないのかもしれない。