L194 私は未来を神の手に委ねる。
今やあなたは天国の門の手前であなたを歓迎する緑の芝生へと足を踏み入れた。
それは神による最後の一歩を確信して待つ静かな平安の場所である。
過ぎてゆく一瞬一瞬が神に差し出され、次の瞬間もすでに神に差し出されたいるとき、
すべての瞬間はあなたが悲しみや苦悩や死そのものから解放される時となる。
<今日も独り言>
この独り言を先に書いてから、今日の朝の瞑想をした。
だんだん思考が静まって、ハートに入っていく。
ハートに入ると思考はもう働かなくなり、まったりとして気持ちがいい。
でも朝からそんなにまったりしているわけにもいかないと思い、ワークを読んだ。
昨日の独り言に書いた、瞑想後とこの独り言を書くときの波動の違いは、この独り言は思考を使って書いているからなんだと気づいた。
今朝もさあ、起きようとしたときに
ハートに愛がきた。
やっぱり言葉にすると「愛さずにいられない」だった。
昨日のは気のせいではなかったんだ
(昨日は書いたブログの独り言を、何度も削除しようと思った)
今日はワークのレッスンだけを書いて余計なことは書くのはやめようと思っていたけど
(そんな本にかいてあることしか口にしないなんて人)
:面白くないでしょ
ああ、たしかに。
そうだよね。
余分なことは極力排除して、真理だけを書く、真面目な求道者。
私は無意識にこれを目指していたんだ。
洗濯物を干しているとき
:非二元は通過点
非二元・・・
余分なものを排除しようとするのは非二元に向かってるの?
そうだ、ハレルヤさんがいつも言ってた。
「非二元は通過点、その先があるんですよ。」って。
あの~ 非二元にも到達してないんですけど・・・・
「非二元に入ってしまうと、そこで満足してしまって逆に出るのが大変になる。」
とも言ってたっけ・・・