言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

第2チャクラ

 

<独り言>

最近、ツイッター上で性に関する罪悪感の悩みをちょくちょく見かける。
これも肉体意識による誤解だと思った。

 

そもそも私たちが生きている上で受け取る生命エネルギーは肉体の第2チャクラで受け取った場合、エネルギーが強ければ強いほど、性のエネルギーとして肉体は感じるのだと思う。

 

しかし、第4チャクラのハートが”愛と悲しみ”、第3の太陽神経叢が”ワクワクと恐怖”、と二元性があるように第2チャクラも同じで、


私が思うに
”神との一体化”という私たちの根本的願望が肉体の想いになると性の欲望になるのではないか・・・

だから罪悪感はそれこそ、罠?

 

なんか、根源に迫ってきた

 

私たちが,神から離れる時に最初に願ったことが「神との一体化を実際にもっと感じたい」だったのではないかな・・・

 

そこで肉体というこの世界が作られてしまった

それに第2チャクラが大きく関わっているのかも・・・

 

第2チャクラの創造のエネルギーはこの肉体では肉体の一体化、それが子供という結晶になって個体としてあらわれ・・・・


これはあくまでもさっきふっと湧き上がった考えなんだけど、うまく言葉にできない。

 

 

とにかく、このエネルギーを誤解せずに、肉体という対象を求めるのではなく、神と一体化するためのツールとしてのエネルギーとして昇華するっていう感じに知覚の修正をしたらどうかな・・・・

 

 

あ、そうそう、わたしはこれを他人事のように書いていいて、また男性からすれば、そんな簡単なことではない、と言われるかもしれないが、

私は性の罪悪感を感じたのはたぶん、小学3年か4年のころだったと思う。

仏壇の前に座ったとき、神をまえにして(仏壇だけど・・・)自分をものすごくはずかしい存在に感じたのを、今でもはっきりと覚えている。

それほど、根源的な罪悪感なのだろう。

 

 

あ、もう一つ思い出した。

 

これも小学校の時、初潮をむかえたとき、

「自分は汚れてしまった」と思った。

 

たしかそのとき、好きな子がいて、

「もう私は彼を好きでいてはいけない」(←なんでそういう発想になる?)

と真剣に思った。