言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

T18-7 何もしなくていい

★今日もあなたの平安と光の中にいます。
お導きください。
あなたの言葉に従います。

 

 

T18-7 何もしなくていい - There Is No Spoon

 この節は、贖罪のために、私たちは何もしなくていいと言います。

「え?なんで?」という感じではないでしょうか?

出家して修行するとか山篭りするまでは考えてはいないけど、エゴを取り消すためには、エゴと戦って打ち倒さなければならないんじゃないの?

エゴが巧妙に罠にかけようと誘惑して、罪悪感を抱かせようとすることと格闘せざるをえないし、そのためには、瞑想したりしないといけないんじゃないの?と。

でも、エゴやその味方を敵視して戦いを挑むことは、本当は存在しないものをあるものとしてみなし、今ではない将来に、勝利のときがやってくることを目指すことになります。

何かを積極的にしなければ贖罪を完了できない、覚醒を得られないという発想自体がそれを遠ざけてしまうということです。
 あなたは神聖な瞬間を未来に置くことなくして、神聖な瞬間の準備をすることはできません。

解放は、あなたがそれを強く望んだ瞬間に与えられるものです。

 

これに対して、兄弟と一緒になって一つに結びつくことがこのコースが時間節約のために用いる特別な手段だといいます。

 

私たちは、本当は、神に創造されたままの姿で存在し、既に完全であり、何も欠けるところが無い存在であるとすれば、それをありのまま認めることだけが必要なことだということになります。

 

そして、その本来の自然な状態に気づくためには、兄弟と一つに結びつくことが必要なだけだということです。


しかし、私たちは、兄弟たちと身体という塀で隔てられていて、身体を重視している限り、この分離を乗り越えて一つになることを難しく感じます。

 

そして、何かをするには身体を必要とするので、自分には何かをする必要があるという観点を持つ限り、分離の象徴としての身体の重要性を退けることは困難です。


聖霊にすべて任せきったのだから、自分には何もする必要はないと決意するということです。

 

 

テキスト 第十八章 


七 私は何もする必要はない

 

あなたがかつて一度もやったことのないことが一つあります。それは、完全に身体のことを忘れ去るということです。

 
 ときには身体があなたの視界から消えたことはあったかもしれません。それでも、身体はまだ、完全に消えたことはありません。

 
 あなたに求められているのは、ほんの一瞬だけ身体を完全に消滅させることだけです。

それでも、贖罪という奇跡が起こるのは、まさにこの一瞬においてなのです。


そのあとで、あなたは再び身体を見ることになります。

しかし、あなたは決して、身体をそれまでとまったく同じように見ることはありません。

 

そして、あなたが身体を意識しない一瞬を過ごすたびに、あなたの意識が身体に戻るとき、その一瞬があなたにそれまでとは違った見方で身体を見せてくれるようになります。


ただの一瞬たりとも、身体はまったく存在していません。

 
 身体はつねに思い出されるか予期されるかであって、決して、まさに今この瞬間において経験されることはありません。

 
 身体についての過去や将来のことが、身体を実在するように思わせているにすぎません。

 
 時間が身体を完全に支配しています。というのも、罪が全面的に現在にあることは決してないからです。


 あなたがほんの一瞬でも過去も未来も見ないでいようとの意欲を持たないかぎり、心置きなく無条件に神聖な瞬間を受け入れることは不可能です。

 
 あなたが神聖な瞬間のために準備しようとするなら、どうしても神聖な瞬間を未来に置くことになってしまいます。

 しかし、解放は、あなたがそれを強く望んだ瞬間に与えられます。


神聖な関係は時間を節約するための手段です。

 
 あなたたちが一緒に過ごす瞬間が、全宇宙をあなたたち二人へと戻してくれます。


 あなたには、その準備ができています。

 
 今、あなたに必要なのは、ただ自分は何もする必要がないと覚えておくことだけです。

 
 今は、自分は何をすべきかあれこれ考えるよりも、ただ自分は何もする必要がないということに集中する方がずっと有益なはずです。

時間は、あなたのために短縮されました。なぜなら、あなたと兄弟が一緒にいるからです。

 
 あなたと兄弟が一緒になることこそ、このコースが、あなたの時間を節約するために用いる特別な手段です。


何もしないことは安らぐことであり、自分の中に、身体の活動が注意を喚起しなくなる場所を作るということです。


そして、あなたは嵐のような身体の激しい活動のすべてよりも、その嵐の中の静かな中心をもっと意識するようになります。

 
 その中であなたが何もしない、この静かな中心はあなたと共に留まり、あなたが送り込まれる慌しい活動のすべての真っただ中にあっても、あなたに安らぎを与えてくれるようになります。


 というのも、この中心部から、あなたはどのようにして身体を罪なく用いればよいか指示してもらえるようになるからです。

 身体が不在になっているこの中心部こそが、あなたが身体を罪のないものとして自覚しつづけられるように保ってくれます。

 

 

 

 

 

★あなたの与えてくださるものだけを受け取ります。
 
<ジーザスカード>

小さな群れよ、怖れることはありません。
あなたがたの父である神は、
喜んで御国をお与えになります。

 

 

 


<光の書>

224 昇る

昇ってください。昇ってください。昇ってください。

 

人としてのあなたを縛っているすべての制約を、
真実とあなたの尊厳を抑制しているすべてのものを
そこ地上に残して、ここに昇ってきてください。

 

ここに昇ってくることを決意したあなたを讃えるために、
そして、あなたが愛という言葉の本当の意味を知らずに地上で過ごした長い年月を忘れることができるように、祝宴を開きます。

 

 あなたはここに昇ってくることの重要性に気づきます。
私はあなたに触れた時、あなたはそれが私だとわかるようになります。
そして、私が触れたとたんに、すべてが大きく変わります。
それを感じるはずです。