赦しシルーズ <テキスト編>
★今週は”赦し”をテーマに集中して学習して行きたいと思います。
T18-5 幸せな夢 - There Is No Spoon
絶対に、神聖な瞬間に臨む前に、自分の心からすべての恐れや憎しみを取り除いておこうと試みないでください。
あなたの心からすべての恐れや憎しみを取り除くことこそが、神聖な瞬間の役目なのです。
絶対に、聖霊の助けを求める前に、自らの罪悪感を見過ごそうとしないようにしなさい。
あなたの罪悪感を見過ごすのは聖霊の役目なのです。
あなたの役割は、ただ単に聖霊に恐れや憎しみを全部取り除いてもらって赦されたいという、ささやかな意欲を聖霊に捧げることだけです。
あなたが用意するのではない一つひとつの神聖な瞬間の中で生まれ変わるあなたの神聖な関係を通じて、祝福された無数の人々が、あなたと一緒に天国へと昇っていくことになります。
神は、自らの目的を分かち合う者には、誰にでもそのための手段を用意してくれます。
あなたの兄弟を自分自身として愛することは夢ではありません。
それに、あなたの神聖な関係も夢ではありません。
神聖な関係の中になお残っている夢の属性は、神聖な関係が依然として特別な関係であるということだけです。
しかし、特別な関係も、この世界の中で特別な役割を担う聖霊にとっては、とても役に立ちます。
特別な関係は、幸せな夢となります。この幸せな夢を通じて、聖霊は、愛とは幸せではなく恐れであると信じている無数の人々に、喜びを広めることができます。
あなたが自分の関係の神聖さが何かに脅かされていると感じるとき、即座に立ち止まって、恐れにひるむことなく、その一瞬をあなたの望む神聖な瞬間に交換してほしいという意欲を聖霊に差し出すことです。
今では、あなたにも兄弟にも、自分ひとりだけで恐怖を経験したり、ひとりだけで恐怖に対処しようとしたりすることが不可能になっているという事実の中にこそ、関係性を祝福して一つに結び合わせることの力を見出すことができます。
決して、ひとりだけで恐怖を経験したり対処する必要があるとか、あるいは、そんなことが可能であるとすら信じてはなりません。
しかし、ちょうど恐怖をひとりだけで経験したり対処したりすることが不可能であるのと同じように、相手を抜きにして、あなたたちのどちらか一人にだけ神聖な瞬間が訪れるということも不可能なことです。
だから、神聖な瞬間は、どちらかが求めることで、二人のために起こるのです。
脅威を感じた時点で、まだ相手よりも正気を保っている者がどちらであれ、その者は、自分が相手にどれほど深く恩義を負っていて、自分が相手にどれほど感謝して当然かということをまず思い出し、自分と相手に幸せをもたらすことによって、自分の受けた恩義に報いることができることを喜ぶべきです。
彼にこのことを思い出させて、次のように言いなさい。
私は、この神聖な瞬間を自分のために切望する。
そうすれば、私は、この神聖な瞬間を自分の愛する兄弟と分かち合うことができるだろう。
兄弟なくして私が神聖な瞬間を経験することは不可能だし、兄弟も、私なくして神聖な瞬間を経験することはできない。
しかし、私たち二人にとって、今、神聖な瞬間を分かち合うことは完全に可能なことだ。
だから、私は、この一瞬を聖霊に捧げる一瞬として選ぶことにする。そうすれば、聖霊の祝福が私たちに注がれ、私たち両方を平安のうちに保ってくれるだろう。
T29-5 不変の住処 - There Is No Spoon
じっと静かにして、兄弟の中の神の声に耳を傾けて、その声に、彼の役割が何なのか教えてもらってください。
彼はあなたが完全になるようにと創造されたのです。
父の完璧な贈り物である神の子をよく見てください。彼の中で父は永遠に輝いているし、彼に対してすべての創造物が彼自身のものとして与えられています。
あなたを包み込んでいる静寂は彼の内に留まり、この静けさから生じる幸せな夢の中では、あなたたちの手が潔白さの中でつながれているのが見えます。
このつながれた手は苦痛の夢の中で握り合っているのではありません。
その手は剣を握ってなどいません。というのは、彼らは、この世界の空疎な幻想を握り締めるのをやめたからです。
もし神が彼のことを神自らにふさわしいものとして尊重するのであれば、あなたは彼を憎しみに満ちた手で攻撃しようとするでしょうか。
あなたの兄弟は自分が死の手を握っているものと思い込んでいます。
彼を信じてはなりません。
その代わりに、ただ自らの手をその兄弟に差し延べるだけで彼を解放してあげられる自分がいかに祝福されているかを学んでください。
その兄弟が憎しみに満ちたあなたの敵ではなく、あなたの救い主である夢があなたに与えられます。