言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

正しい自己中になるにはどうすればよい?

★今朝、目が覚めて浮かんだ言葉が二極性。

なんで?っていう感じ。

そのうちわかるでしょう。

 

どちらにしても、聖霊が絶妙なタイミングでやってくれていることを信じよう。

私がすることはただ聖霊を選ぶことだけ。

 

 

正しい自己中になるにはどうすればよい? - There Is No Spoon

夢の主人公で述べましたが、私たちが、世界(兄弟)にも自分にも罪が無く潔白だと理解した上でさらに、その上でさらに学ばなければならない唯一の秘密は、自分と世界(兄弟)は別々ではなく、一体となった神の子が潔白なのだと理解することだということでした。

この自他分離の感覚の解消こそ、コースの中でも最重要課題といえます。

 

自分と他人が別々ではなく一体であると理解することは、分離幻想の解消であり、真の自己を知ることでもあります。

 

それでは、正しいセンタリング、すなわち、自分のアイデンティティーを真の自分である大いなる自己に置き直すにはどうすればよいのでしょうか?

 

 

私たちが、投影によって自分が映し出した世界を夢見ているなら、自分が光源であることに気づくためには、投影された像を見るしかないということです。

人は、自分の姿を見ようとするとき、鏡に映さない限り、自分の姿を見ることはできません。

 

自分自身を知るためには鏡が必要です。

世界というスクリーンがこの鏡になることができます。

個別の心が被る仮面であるエゴは、プロジェクターの光源の前に置かれたスライドやフィルムのようなものです。

真っ白な光は、このエゴスライドを通して色付けられ、多様な形を取って、夢の世界というスクリーンに映し出されます。

 

投影が3Dのホログラムによって映画よりもはるかにリアリティを増した形で体験しているために気づきにくいようになってはいるものの、世界に働きかけて何かを解決しようとすることは、仕組みとしては、映画の中で誰かに襲い掛かる悪者をやっつけようとして、スクリーンにナイフを突き立てるようなものでしかないということです。

 

 

この点、ネガフィルムとポジフィルムのように、像の陰陽を反転させたもの同士を重ねて突き合わせて見ることで、色合いや形を消すことが可能なようにも思えます。

ノイズ・キャンセリング・ヘッドホンが、ノイズと逆位相の音を発生させて、ノイズと打ち消し合わせる原理で、ノイズを消すという発想のようなものです。

 

 

 

同じように、エゴ・スライドを通して、外部に投影された出来事に対して、対極をぶつける、つまり、外の世界にマイナスの出来事が起こった場合に、その出来事とちょうど対極にあるイメージを内心で抱くということは可能ですし、効果があるような気がします。

 

そもそも、ネガとポジをぶつけて相殺させるという発想は、贖罪で出てきたこの世界での贖罪、すなわち、罪による害悪と同等の害悪の犠牲を払わせて、罪を打ち消すという発想と似ていると感じないでしょうか?

 

 コースの言う贖罪(大文字のAtonement)は、埋め合わせをすべき罪自体、実在しないということにとことん気付くことで幻想を取消す(赦し)ことによって世界が展開する土台自体をひっくり返すということでした。

 

このような出来事に直面して、自分がエゴに従っていたことに気づいて、聖霊を選択し直して、聖霊に従ってそこからレッスンを学ばない限り、同じレッスンは繰り返されることになるのでしょう。

 

 

★二極の構造がとっても分かりやすく書かれています。
今日も、くちポカなくらいのぴったり記事でした。