言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

神のひとり子

関口知宏さんの今朝見た番組の中で、失われていくサーメの文化の中で、シカ狩り(トナカイだったかも)をしている男性が森の中で大地にねっ転がって

「大きな悩みをかかえていても、大自然の中で解決するんだ」って言ってた。

いいなぁ、この言葉。

「この木が神なんだ、この大地が神なんだ」

「必要なものは何にもない」って。

 

(偶然にも(偶然じゃないけど)以前にも一度ツイートした関口さんの歌を紹介したのが、今リツイートされてた。)

 

 

 

朝、目をつぶっていると、だんだん、だんだん、だんだん、気持ち良くなって、どんどん気持ち良くなって、

そうすると

時間が、時間が、時間が、って。。。。

 

気持ちいいなぁ・・・時間が・・・

 

気持ちいいなぁ・・・時間が・・・

 

いつもだ。

 

 

 

今朝起きて自分の波動の中でいつものようにくつろいでいたら、なんか、今日、いい!!

うまく表現できないけど、いつもよりいい!って感じた。

 

あれ? これって、わたしが兄弟にいつも感じている波動。

 

 ということは・・・

 

あなたはわたしで、わたしはあなたで・・

 

じゃ、いつものわたしの思いと思っていたものは、わたしの思いじゃないかもしれないし・・・

 

わたしのそれに対する反応が私一人に影響されるわけじゃないことになる・・・

 

 

 

神の独り子と私たちの関係は?

 

★なんと!! 出ました。お答えが!!

 

神はただ一人の子しか持たないということに、特に着目すべきです。


 もし全ての神の創造物が神の子らであるなら、一人ひとりが神の子全体を構成する不可欠な部分であるに違いありません。

 一体となった神の子は、数ある部分の単なる総和を凌駕するものです。

 しかしながら、数ある部分のどれかが欠けている限り、このことは覆い隠されています。

 
 だから、神の子全体を構成する全ての者たちが回帰するまでは、究極的には葛藤が解消されることはあり得ません。

 ただ全員が戻ったときにのみ、真の意味において、完全であることの意味を理解することができます。
 

神の子のどの部分に属する者であれ、彼がもしそれを選ぶなら、誰でも、誤りを信じたり不完全なものを信じることができます。

 

この誤りを修正することこそが贖罪です。」(テキスト第二章 VII.Cause and Effect 七 原因と結果)

神は常にみんなのために受け入れられることになります。だから、あなたの心が神を迎え入れるなら、神の子全員に神の記憶が蘇って来るのです。

 

あなたたちの心は別々のものではありません。そして、神は、癒しのための経路をただ一つ持っているだけです。なぜなら、神には一人の子があるだけだからです。

 

生きとし生ける全てのものは、神自身の一部であるように、あなたの一部でもあるのです。

 

 

 

それでは、イェシュアの手紙です。

「さあ、始めよう。
・・・・
もう一度、聖書を開いてもらいたい。
・・・・
マルコによる福音書の4章9節を開いて読みなさい。
・・・・
「そして、『聞く耳のある者は聞きなさい』と言われた。聞く耳のある者には、御国の秘密・・・・」
・・・・
「すべての人が、父を敬うように、子も敬うようになるためである。
子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない」

この教えについてわたしが語る言葉を

注意深く聞くように強く求める。

人間の頭が創り出した

わたしのイメージに向かって

神頼みをするだけのために

寺院を立て、中に入り、

そして、それを「子を敬うこと」と思っている者は、

はっきりと知りなさい。

あなたがたは、子を敬ってはいない。


子は一人だけ、

他にはいない。

これが意味することは何だろうか?


わたしがその子で、

あなたが救われるべき「他者」というわけではない。

わたしは、あなたより上の者ではない。

わたしは子であり、

あなたもまたそういう存在である。

子とは、この宇宙、または、別の宇宙にあろうとも、

すべてのハートの中に存在するものであるから。

限界のない、

無限なるものである。


それなら、なぜ

子であるあなたが

あなた自身の中の子を敬うことなくして、

わたしを敬うことができるであろうか?

東洋の地の予言者によってもたらされた

偉大なる真実がある。

あなたが「ブラフマンアートマン」として知っているものである。

それが意味するところは、

スピリットは人のハートの中に存在しており、

そして、そのスピリットこそが

幻想を受け入れる前の彼自身である。

その一なるスピリットは、すべての生命の中に存在しており、

それがブラフマン

または、父なる神である。


だから、敬いなさい。

まず何よりも、

あなた自身の中の子を。

そうすることによってのみ

わたしを敬うことができる。


こうすることによってのみ

わたしを敬う者が、わたしを遣わした方をも敬うことになる。

そして、愛である神は、

そのすべてを表現されるために、

あなたたち一人ひとりをも遣わされたのである。


そしてもし、子がすべてのものの中に存在しないのであれば、

わたしはこのように語ったりはしなかった。

「木を切り裂いたとき、わたしはそこにいる。

石を持ち上げたとき、

そこにわたしを見つけるであろう」


すべてのもののハートの中を見ることは、

子の輝きを見ることである。

この中に、御国として知られているものの神秘が存在する。


見よ、わたしが必ずいつもあなたと共にあることを。

それは、わたしたちが本当に一つであり、

たった一人しか存在しない子であるから。


今日はこれで十分であろう。

あなたがわたしに対する抵抗を

手放してくれたことを嬉しく思う。

これによって、あなたが今までかすかに想像することしかできなかった

平和を築いてゆくことであろう。

そして、あなたの想像は、

あなたがかつて旅立っていった光の記憶の

影に他ならない。


すべての魂は、放蕩息子である。

本当の自分が誰であるかを忘れ、

そして、一瞬のうちに起こるを夢見るために

自らの選択によって我が身を仮面で覆い隠した。


それゆえ、

夢から覚めることは、

目を開けるぐらいの努力しか要さない。


さあ、一人ひとりの

子の目を

今、開けようではないか。


アーメン」(「イェシュアの手紙」ナチュラルスピリット マーク・ハマー著、マリディアナ万美子訳 189~196ページ)

 

 

★私たちって、本当は、その人を波動で見ているんだね。

だから、その人の言ってることや、やってることは、どうでもよくて。

だから赦せるんだね。