聖霊と見る夢
★自我が恐れの幻想を囁きかけてきても
神に聖霊にジーザスに助けを求める
そして、一緒にいてくださいと祈る
ジーザスはしっかりと目に見える形で、人を使って、時間を使って援護してくれる。
T29-9 赦しの夢
夢の中のすべての登場人物たちは、あなたをその夢から救い出そうとして作られた偶像たちです。
偶像を崇拝することは、絶望や恐怖を崇拝することであり、そして、絶望と恐怖が生まれくる夢そのものを崇拝することです。
幼子よ、その光はそこにあります。
あなたはただ夢を見ているだけなのです。だから、偶像たちは、あなたがそれと遊ぶことを夢見ている玩具でしかないのです。
彼らの玩具がしているように見えることはすべて、それらの玩具で遊んでいる者たちの心の中にあるものです。
子供の玩具をいつまでも取っておこうとしないでください。
そんなものは、全部片づけてしまいなさい。もうあなたにはそんな玩具は必要ではないからです。
真の世界ですら、一つの夢でしかありません。
ただし、その中の登場人物たちは変わっています。
ただ赦しの夢だけが、ここに入ってくることができます。というのは、時間はほとんど終わりかけているからです。
そして、この夢に入ってくる人影は、今では、裁きを下すためではなく、愛の中で、兄弟たちとして知覚されるのです。
赦しの夢は、長く続く必要はほとんどありません。
赦しの夢は、心が思うものから心を分離するために作られるものではありません。
赦しの夢は、その夢が他の誰かによって夢見られていることを証明しようとはしません。
そして、これらの赦しの夢の中では、時間が始まって以来耳にすることがなかったけれど、誰もが覚えているメロディーが聞こえて来ます。
いったん赦しが完了しさえすれば、赦しによって時間のない状態が本当に近くにもたらされるので、天国の歌が聞こえるようになります。
それは耳によって聞くのではなく、神の子の心の奥深くに永遠に留まっている祭壇を一度も離れたことのない神聖さによって聞く歌です。
★あれが夢ならば、これも夢でなければならない
これが夢でなければ、あれも夢でないことになってしまう
あれが夢であってほしいならば、これも夢でいい
あれもこれも夢であって、すべてが消えればいい