実は救われている
★昨日、「この世界を徹底的に放棄する」という浮かんだ言葉を書いた。
しかし、これがどれほど難しい事か、昨日から今日もレッスンが与えられている。
「この世界はこんなにもひどい世界なのだよ」と、見せられているようだ
一瞬でも希望を持ったりすれば、ことごとく打ち砕かれる
ここまでやるか?っていうようなえげつない方法で、
手を差し伸べては、谷底につき落とす、みたいな・・・
一瞬、ジーザス、まさかあなたが・・・と思ってしまった
それに対して、ジーザスの答えは
”沈黙”の最後が思い浮かび
「実は救われている」だった。
T24-1 愛の代用としての特別性 - There Is No Spoon
もしあなたが自分の兄弟と同じものであるとすれば、あなたにとって彼を憎むことは可能でしょうか。
もしあなたが自分はその兄弟と共に同じ目標に向かって旅をしているのだと理解したなら、あなたに彼を攻撃することなどできるでしょうか。
特別であろうとすれば、あなたは兄弟の敵となり、目的を分かち合うならば、あなたは兄弟の友となります。
★相手の中に見ているのは、必ず自分の一番醜い部分なのだろうなぁ
★私は平安を選びます
そして、しなければならないのは”赦し”だけ
あとは聖霊に任せます
そして、私が今現在感じているのは、安らぎだ
★昨日はずっと怖れといっしょに過ごしたが、足が震え、身体が震え、ただじっと耐えるほかない
結局は楽になりたいので幻想に逃げる
今、のり子さんのブログを見たけれど、
そう、「超~welcome」
「幻想さん、いらっしゃ~~い」なのだ
幻想世界を、欲して、欲して、欲している。 - 真我なるハート☆奇跡のコースで生きる☆今ここを終わらせることがうれしい!本当の自分を思い出そう
「宇宙まるごと抹殺しに、宇宙まるごと飲み込める巨大なあいつが、殺しにやって来てしまう」
コトバにすると、こんな感じだけれどもコトバでなんて表現できない恐れ。
これが、無意識レベルに常に押し込め続けてきた「幻想のもと=罪悪感」の、ほんの欠片。
とっさに、この罪悪感を、みぞおちの激痛にすり替えようとするはたらきが見えた。
それは、あきらかに逃げだった。
それは、コースでいうところの魔術で、それが自分の救済方法、解決方法、防衛だった。
この幻想を直視するくらいなら、みぞおちの激痛なんてなんてことない。
超~~~~Welcomeだ。