言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

レッスン262「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように。」

レッスン262「今日こそ、私がいかなる相違も知覚しませんように。」 - レッスン261〜270

 

父よ、あなたにはひとりのがあります。
 
そして、私が今日見たいのは、そのひとりです。

 

彼は私の一部であり、私は彼の一部であり、そして、あなたの愛の中で永遠にひとつに結びついていて永遠である私たちは、自分たちの大いなる源であるあなたの一部だからです。

 

 ひとつである私たちは、今日という日に、自分たち自身についての真実を認識しようと思います。

 

私たちは、帰郷し、一つに結ばれて安息したいと思います。

 

 

身体という囲い - ワークブック・パート②特別解説

知覚自体が錯覚を見るための器官

車で言えば、運転手のいない車自体が自ら意志を持って思考し動くと考えるようなものです。

 

身体は道具です。

道具は何らかの目的に奉仕するために作られ、用いられます。

 

★昨日の記事と今朝のtimelogに書いたことと同じですね。

私たちは聖霊の言葉を気づかずに受けとっているんですね。

 

 

では、この幻想世界において、身体は、何のために作られたのでしょうか。

それは、分離幻想を維持する道具としてです。

神の子を、時間と空間の世界の中に、分割して幽閉するためです。

 

本来、神の子は、霊であり、神の思いであり、時間にも空間にも縛られない無形のたった一つの存在です。

 

個別の心を幽閉するために作られた身体ですが、身体が奉仕する目的を変更することで、身体を神の子が正気を回復するための道具にして、神聖なものにすることができます。

 


身体は、他の小さな心とコミュニケーションを取るための手段になります。

 

 

 

<ワークブック朗読> 

ACIM workbookⅡsp5奇跡講座 第2巻 身体とは(261~270日目のテーマ) - YouTube

 

ACIM workbookⅡsp5奇跡講座 第2巻261~270日目 - YouTube

 

 

(timelogの時間のところをクリックすると動画が見れます)