レッスン243「今日、私は、何が起ころうとも、価値判断しないことにする。」
レッスン243「今日、私は、何が起ころうとも、価値判断しないことにする。」 - レッスン241〜250
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まず、世界とは何かをご覧ください。
この世界は、神の子である本当の私たちが、神から離れて神が入り込めない場所にするつもりで作り出した幻であり、分離という誤った思いを源とするので、分離という間違った想念が大切にされている間しか存続できないといいます。
知識である神に対する攻撃として知覚が誕生し、真理を覆い隠して、自分の願望のとおりに知覚するための幻想を生み出す仕組みとしての五感が生み出されました。
五感は、個別の心が見たいものを世界に投影して、あたかも世界に確固として存在するものを探し出したかのように、自分に持ち帰えってきます。
この世界は、それを生み出した想念が大切にされている間しか存続できません。
分離の思いが真の赦しに変わったとき、この世界は、真理へと導くまったく違った光の中で見られるようになります。その真理において、全世界は必ず消え去り、世界の誤りはすべて消滅します。
この世界は、神が入り込むことができず、神の子が神から離れたままでいられる場所となるはずだったのです。
目は嘘をつき、耳は間違って聞いてしまいます。
確実さの代わりに、幻想を生み出す感覚器官の仕組みが誕生しました。
感覚器官が報告することはことごとく、真理から切り離されている単なる幻想にすぎないのです。
視覚は真理から目を逸らさせるために作られたものですが、視覚の方向性を向け直すことはできます。
様々な音は、神への呼びかけとなるし、すべての知覚は、神がこの世界の救い主として任命した聖霊によって新たな目的を与えてもらうことができます。
聖霊の光に従ってください。そして、この世界を聖霊が見るように見てください。
あなたに語りかけるすべてのものの中に、聖霊の声だけを聞いてください。
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Lesson 243
今日、私は、何が起ころうとも、価値判断しないことにする。
私は、現時点の自分の理解が及ばないに違いないもののことを、すでに自分が知っていると思ったりしないようにする。
私は、今の自分にはそれしか見えないような自分の知覚の断片から、自分が全体を理解していると思わないようにする。