言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

レッスン72「不平不満を抱くことは、救済のための神の計画に対する攻撃だ。」

 

エゴ救済計画は、の座を奪うためのもので、身体を道具として、個別の心を身体に幽閉されているように幻惑し、の子の真の姿が見えないようにする計画であるということが丁寧に解説されています。

 

今日のレッスンの中で重要な一文を抜粋します。


「To be without a body is to be in our natural state. 
身体なしの状態にあることは、私たちの本来の状態にあるということです。

 

★昨日、朝は身体がない感覚、夕方からは身体感覚がこの世界にしっかりと繋ぎとめようとしていて、その感覚からどんなに逃れようとしてもできない、という二つの感覚を体験した。

体験させられたんだなぁ・・・

 

 

エゴ計画は、計画への積極的な攻撃であり、の計画を台無しにしようとする意図的な試みだ

 

エゴというのは、神に取って代わりたいという願望を物質的に体現したものです。

 

★まがい物の愛(所有と支配)によって、

エゴの子をどんどん生産する神の模倣

なんだなぁ・・・

 

心は周囲を身体で取り囲まれているように見えており、

心は分離させられたままで孤立し、

心を幽閉するために作られた身体を通して以外には、

他の心に触れることもできないようになっています。

 

 

不平不満を抱くことが、なぜ神の救済の計画に対する攻撃となるのか

 

ある人があなたの気に入らないことを何か言ったであるとか。

彼が、あなたを不快にさせる何かをしたとか。

彼が、うっかり自分の振る舞いによって、自分の敵意のこもった思いを「さらけ出し」てしまったとかということです。

 

ひとつの身体の中で彼が何をしているかということだけに注意を向けていているのです。

あなたは積極的に、身体と彼を混同し、彼と身体がひとつのものだと価値判断をすることによって、彼を身体に束縛しようと努めているのです。

 

このようにして、神への攻撃がなされているのです。

というのは、もし神の子が身体でしかないなら、神も同じように身体に違いないということになるからです。

 

身体が見たところ現実であるように見えることが、このような見方で神を捉えることをきわめて説得的なものにします。

 

そして、あなたが不平不満を抱くたびに、不平不満は身体が本物であると強調します

 不平不満は、完全に、あなたの兄弟が何者であるかということを見落としてしまっています。

 不平不満を抱く心は、兄弟が身体であるとの信念を強化することになり、

そして、身体について兄弟を非難することになります。

 

身体があなた自身についての自己概念の中核に位置する限り、

あなたは神の救済の計画を攻撃しているのであり、

神と神の創造物に対して不平不満を抱いているのす。

そのせいで、あなたには真理の声は聞こえないだろうし、

真理の声を友として歓迎しようとすることもないでしょう。

 

 

What is salvation, Father? 
父よ、救いとは何なのでしょうか。

I do not know.
私にはわかりません。

Tell me, that I may understand.
どうか私に理解できるように、私に教えてください。


 He will answer. 
 神は答えてくれます。

 Be determined to hear.
 聞く決心をしておいてください。

 

 


Holding grievances is an attack on God's plan for salvation.
不平不満を抱くことは、神の救済の計画を攻撃することだ。

Let me accept it instead. 
攻撃する代わりに、私に神の計画を受け入れさせてください。

What is salvation, Father?
父よ、救いとは何なのでしょうか。

 

 

 

<朗読> 

ACIM workbook71-75 奇跡講座 第2巻71~75日目 - YouTube