言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

聖霊って何なんだろう?

聖霊って何なんだろう? - There Is No Spoon

 

(奇跡講座マニュアルp180~) 

 5. You are His manifestation in this world. 
 あなたは、この世界における聖霊の顕現です。

 Your brother calls to you to be His Voice along with him. 
 あなたの兄弟(奇跡講座では”兄”)は、あなたに自分と一緒に聖霊の声になるようにと呼びかけています。

★朗読を聴いていると、兄弟のことをいっているように受けとれるけど、

本で読んでみると、ジーザスをさしているようだ。

 Alone he cannot be the Helper of God's Son for he alone is functionless. 
 その兄弟(彼)ひとりだけでは、神の子の助けとなることはできません。というのも、彼ひとりだけでは役目を果たすことができないからです。

 But joined with you he is the shining Savior of the world, Whose part in its redemption you have made complete. 
 しかし、あなたとひとつに結びつくなら、その兄弟(彼)は輝ける世界の救い主となります。あなたは救済における彼の役目を完結させることになります。

 He offers thanks to you as well as him for you arose with him when he began to save the world. 
 聖霊は、その兄弟(彼)と同じようにあなたにも感謝を捧げます。それは、兄弟(彼)が世界を救いはじめた際に、あなたが兄弟(彼)と一緒に立ち上がってくれたからです。

 And you will be with him when time is over and no trace remains of dreams of spite in which you dance to death's thin melody. 
 そして、時が終わり、あなたが死の儚いメロディに合わせてダンスをした悪念のこもった夢の数々の跡形も残らなくなったとき、あなたは兄弟(彼)と一緒になることでしょう。

 For in its place the hymn to God is heard a little while. 
 かつてその夢のあった場所では、神への賛美歌をしばらくの間、耳にすることになります。

 And then the Voice is gone, no longer to take form but to return to the eternal formlessness of God.
 そのあと、もはや形をとることをやめて、その声は去り、神の永遠なる形の無い状態へと帰るだけです。

 

 

 

(ワークブックp513)

目に見えるものや耳に聞こえるものは、恐れを証明するものから愛を証明するものへと変換される

 

 

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明日のことで悩んではいけません。

明日のことは明日が自然にはからうでしょう。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・

 

(追記)

そうそう、今朝、お盆なので久しぶりに仏壇の前に座った時、

ふと、阿弥陀さまと聖霊ってどんな関係なんだろう?

もしかして同じ?って思ったので(でもって、今日のレッスンも聖霊だったので)

調べてみました。

blogs.yahoo.co.jp

 

「光明とは聖霊

浄土教でいうところの、
光明とはつまり聖霊のことである。

光明とは聖霊
無量光とは、無限の聖霊のことである。

阿弥陀仏は無量の光明、
はかりしれない聖霊の働き。

光明摂取とは、
聖霊が選び取りその人にそそぎこまれる、
ということだ。

キリスト教でいうところの父・聖霊・子を、
仏教では法身・報身・応身といい、
それぞれ人格化して大日如来阿弥陀如来・釈迦如来といった。
三位一体は、洋の東西を問わず真理である。

 

★へえ~、そうなんだ。

「同じなんだよ」って教えてくれたんだね。

うれしいなぁ~~

明日から、ちゃんと仏壇の前に座ろ♡❤♡

 

 

 

www.h-s-forest.com

 

ただ本願の力を信じさえしていれば阿弥陀仏が利他力により救済してくれるということ。
※利他=他を益する。他を幸せにする。
真実に生きることは、自力(人間の力・マインド)では不可能であり、ただ阿弥陀仏の本願力に頼るしかないということ。
浄土真宗の念仏「南無阿弥陀仏」。
ハートの基本的なスタンスと少し似てますね。
自分の思考でどうにかしようとしないで聖霊に明け渡し、そして委ねる。
 
突き詰めていくと、ハートは純粋非二元であり仏教は非二元。
その違いに大きな隔たりはありますが、自力=自分の意識の力(マインド)ではどうにもならないことを認知している点。よすがとするものに委ねようという点については共通認識なのですね。
 
ハートにおいての“聖霊に委ねる”は、浄土真宗においては“南無阿弥仏”にあたると思います。

 

★純粋非二元と非二元か・・・

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

 

 

 

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