T15-11 犠牲の終わりとしてのクリスマス
★あらま、一昨日と同じ
もう一度、ちゃんと読みましょう。
T15-11 犠牲の終わりとしてのクリスマス - There Is No Spoon
クリスマスの印はひとつの星であり、それは闇の中に輝くひとつの光です。
その星があなたの外ではなく、あなたの内なる天国に輝いているのを見てください。
そして、この星をキリストの時が到来した印として受け入れてください。
あなたも聖霊と一緒に癒しを行えるように、あなた自身を完全に癒してもらってください。
そして、私たちと一緒にみんなを解放することによって、自分たちが解放されることを一緒に祝いましょう。
あなたが自分自身から除外しようとするものは、恐ろしいものに見えます。
なぜなら、あなたはそれが自分の一部であるにもかかわらず、それに恐怖を押しつけて外部に放り出そうとしているからです。
愛の意味は、あなたが自分自身の外に投げ捨ててしまったものの中にこそ見出すことができます。
そして、あなたから離れていては愛には何の意味もないのです。
I give you to the Holy Spirit as part of myself.
私はあなたを私自身の一部として聖霊に捧げます。
I know that you will be released, unless I want to use you to imprison myself.
私は、自分自身を幽閉するためにあなたを利用したいと私が望まないかぎり、あなたが解放されることを知っています。
In the name of my freedom I choose your release, because I recognize that we will be released together.
私の解放のために、私はあなたが解放されることを選びます。なぜなら、私は私たちが一緒に解放されることになるとわかっているからです。
★今朝は、目が覚めたら、首が痛くて、
「今日は首かぁ~~~」
「あ、そうだそうだ、これはわたしの幸せとは関係ないんだった」と思いだし、
うん、やっぱり、幸せだ。
食後の片づけをしながら、キムちゃんを聴く。
うん、幸せだぁ~
神にはすべてのことが可能です。
「ヒマラヤ聖者の生活探究」第3巻より
第18章イエスの自己完成への苦闘
>あなた自身を完全に癒してもらってください。
最近、あっちゃこっちゃが痛くなってるのは
癒しの時期なんだろうな
腰の痛みは昨日、手をあてても何もわからなかったので、温存。
今日も痛くなったので、手をあてて観てみた。
持病みたいなものだから、かなり根源の癒しにきているんだろう。
根気強く、手をあてて痛みを観て感じていたら、
「さみしさ、保護を必要としている」という思いが上がった。
まさしく、そうだ。
子供のころから、いつも一人でさみしかった。
保護を求めていた。
何十年もその思いはエネルギーとしてここにあったんだね。
聖霊に助けてもらいながら、痛いところに手をあてて感じていたら、
痛みだったところが、熱くなって、そこには心地よい安らぎがあった。
まだ痛みはなくなっていないけど、
一つ一つ聖霊に導かれながら、今、癒やされていこう。