T20-6 聖霊の神殿
T20-6 聖霊の神殿 - There Is No Spoon
神の子の意味は、ただ神の子と彼の創造主との関係の中にのみあります。
創造主との関係以外には何も存在しないことは確かなことです。
ところが、神の子は、自らと大いなる父との間に神聖ではない関係を作り上げてしまっています。
神聖な関係と神聖でない関係の両方の体験ほど、両者の対照性をよりよく示すものはありません。
どんな関係であれ、その中に身体が入り込む関係は、愛に基盤を置くのではなく、偶像崇拝に基盤を置いているのです。
身体の中なら、エゴは「安全」です。なぜなら、身体の中に愛は入り込めないからです。
神聖な瞬間を選ぶのであれば、身体など脇に置いて、身体を静かに超越し、あなたが真に望むものを喜んで迎え入れるために目を覚ましてください。
神聖な関係は、現実における神の子と父との真の関係性の反映です。
身体はエゴの偶像です。身体は、罪への信念が肉体として具現したうえで、外部へと投影されたものです。
これが心の周囲に肉の壁のように見えるものを生み出し、時空の小さな一点の中に心を囚人として閉じ込めたままに保ちます
あなたはひとつの真の関係を持っており、その真の関係には意味があります。
その関係は、あなたと神との真の関係と同質のものです。それは、ちょうど等しいもの同士は互いに似通っているのと同じことです。
朗読『奇跡のコース』#202 T20 Ⅵ 聖霊の神殿(前半) - YouTube
朗読『奇跡のコース』#203 T20 Ⅵ 聖霊の神殿 (後半) - YouTube
朗読『奇跡のコース』#206 T20 Ⅷ 無罪性のヴィジョン (後半) - YouTube
(p577~ )
もしあなたが、この世界が幻覚だと認識したらどうなるでしょう。
もしあなたが、この世界は自分がでっちあげたものだと本当に理解できたらどうなるでしょう。
もしあなたが、自分のでっちあげた世界の中を歩き回って、罪を犯して死んだり、攻撃して殺したり、自分自身を破滅させたりするように見える者たちがまったく実在しないと悟ったらどうなるでしょう。
もしあなたがこの世界が自分ででっちあげた幻覚でしかないということを受け入れたなら、あなたは自分の見ているものを信頼できるでしょうか。
幻覚は、その正体が見極められたときに、消え去ることになります。
これこそが癒しであり、治療です。
幻覚など信じないでください。信じなければ、幻覚は消えてなくなります。
とすれば、あなたがする必要があるのは、自分がそんな幻覚を作り出したのだと認めることだけです。
いったんあなたがこの単純な事実を受け入れて、自分が幻覚に与えていた力を自分自身に取り戻したら、あなたはそれらの幻覚から解放されます。
ただ二つの目的しかありえません。
そして、目的のひとつは罪であり、もうひとつは神聖さです。
二つの目的の中間には何もありません。そして、あなたがどちらを選ぶかで、あなたが何を見るかが決まります。