孤独に対する恐怖
アイデンティティ=「ニセモノの私」: 笑うウリエルがまだブログをさせられるようです部(笑)
私は正直に孤独に対して恐怖があること認め、その埋もれて忘れ去っていたような恐怖を引きずり出しました。そして、気が済むまで感じることにしてみたのです。
それは幼いころ、ひとりで留守番をさせられているような感覚でした。とても心細い気持ちになる、あの感覚。昔からあった、よく知っている感覚でした。
ヒマさえあれば、それを感じるようにしました。そして、思考を使っていろんな角度から、その恐怖を眺めたりしました。分析はしません。ただ眺めるだけです。
それをやりはじめて、2、3週間くらい経ったときです。ふと、突然に、ホントに突然にすべてが明らかになったのです。まさに『恩寵』です。
それは言葉にすることはできません。でも、確かに感じたのは、ずっと私を守ってきたエネルギーのようなものです。そのエネルギーは、傷だらけになって、じっと横たわっているような状態でした。それをを明確に感じたのです。そして、それが今までの「私」を創り出し動かしていたエネルギーだと直感で知りました。何から何まで。すべてこの私を守るために!
私の言動の大半は、彼によって発せられていたのです。彼は「孤独」は心細く辛いことで、ウリエルを苦しめると信じて疑わないようです。その「苦しみ」を私に味わわせまいと必死で戦ってきたのです。
彼こそが「ニセモノの私」です。「ニセモノの私」って、こんなに健気で愛おしい存在なのです。私はどうして今まで彼に気づかなかったのかと、涙が溢れました。こんなに痛々しいエネルギーなんて……
「もういいよ」
そう彼に告げると、彼が静かに微笑んだような気がしました。そして、消えてゆくのがわかりました。
その次の日、「孤独の恐怖」を感じようとしても、なんと、できなくなっていました。
というか、孤独って一体なんなのか、わからなくなってしまっていたのです。