山をも動かす力
昨日お客さんがきて、延々と深刻な悩みを吐き出していった。
店長も皆もなんとかしてあげたい気持で聞いていたが、
お客さんが帰った後、へとへとになっていた。
でもこれはわたしの中で起きていること。
何のメッセージなんだろう。
テキストをパッと開いてみた。
T-21-3-5
信仰が山をも動かせるということが、なぜあなたにとって不思議なことなのだろうか。
神の子に信が欠けているということはあり得ないが
彼は信をどこに置くかを選択することはできる。
不信は信の欠如ではなく、無に対して信が置かれているということである。
幻想に向けられた信に力がないわけではない。
なぜなら、それによって、神の子が自分は無力だと信じることになるからである。
そう、お客さんは自分の無力さを信じていた。
「わたしはもう年だし、あなたたちみたいに技術もない。だからどうすることもできない。」と。
最近、ジーザスカードでよくでるのも
「あなたがたに信じる気持がカラシ種一粒ほどでもあれば・・・」だ。(昨日のカードもたしかこれだったような・・・)
ああ、これが伝えたかったんだな・・・
しっかりと受けとります。
ありがとうございます。
追記
今、夕飯を作っていて、昨日のお客さんの言葉を思い出した。
「あの人は(ご主人)わたしが何もできない人間であることを望んでいる。」と。
これって、自我の言葉そのままじゃん!!
自我は、「あなたは何もできない卑小なものである。」と言い、
聖霊は「あなたに出来ないことは何ひとつない。」と言う。