今日一日、わたしは自分自身でいかなる決断も下しません。
レッスン328「一番を得るために、私は二番を選ぶ。」 - There Is No Spoon
私たちの意志は神の大いなる意志なので、自分たちの意志に気づくためには、私たちは神の下へと進まなければならない。
あなたの意志以外の意志などありません。
2/13-1:30
今日一日、わたしは自分自身でいかなる決断も下しません。
7/13 - 5:30 ~
幻想の中に一つでも意味を見るなら、あなたにはすべての幻想が意味を持つものに見えることになります。
幻想の中に何の意味も見なければ、幻想はあなたに触れることもできないでしょう。
外見というものは実体のない見せかけのものなので、欺きます。
どんな形であれ、外見にいつもでもこだわらないでください。
外見は、現実を見えなくするだけであり、真実を隠すからこそ、怖れをもたらします。
騙されるために自分自身で作ったものを攻撃しないでください。
と言うのはそうすることで自分が騙されたことを証明することになってしまうからです。
攻撃には幻想を実在的なものにする力があります。
しかし攻撃が作り出すものは無です。
6:45~
幻想のおもちゃを静かに見つめ、それは虚しい欲望にあわせて踊るだけの偶像であることを理解して下さい。
そんな偶像たちを崇拝しないでください。
というのは、それらの偶像はここに存在してはいないからです。
彼の唯一の間違いは、それらの偶像が実在すると考えていることです。
外見が欺くことができるのは、騙されることを望んでいるマインドだけです。
あなたが一つの非常に単純な決断をする時、
すなわち、なんであれ、
偶像が与えてくれると自分が信じているものを、もう欲しいとは思わないことにする。
という決断をする時、
強力な変化が引き起こされたことが、あなたにはわかるでしょう。
T30‐Ⅴ‐7
兄弟たちが怖れの世界で目的において一つになるとき、
彼らはすでに実在の世界の縁に立っています。・・・
彼らがお互いの手をとった時、彼らが取ったのは「キリスト」の手だったからであり、彼らは自分たちが握っている「キリスト」を見ることになるからです。
「父」を思い出す前に「キリスト」の顔を見なければなりません。
というのは、「神の子」が赦しを超えて、「神の愛」に至るまでは、
「神」は必然的に忘れられているからです。
しかしながら、「キリストの愛」が最初に受け入れられます。
そして、それから、「彼ら」は一つであるという知識が訪れます。