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T27-2 癒されることへの恐怖 - There Is No Spoon
いったい誰が、自分の兄弟によって傷つけられながらも、なおその兄弟のことを愛し信頼することができようか。
彼はすでに攻撃してきたのだから、また再び攻撃してくるに違いない。
★先日、テレビで動物救急医の現場を見た。
怖れている猫は、とても凶暴で歯をむき出して威嚇し、鋭い爪で容赦なくひっかいて来る。
とても危険だ。
それでも助けなければならない。
ただ、怖れているだけなのだ。
傷ついて怖れている人も、周りを容赦なく傷つける。
本人が苦しんでいるのはわかるけど、近づくと自分が傷つけられる。
だから、近づかないようにする。
これがほとんどの神の子が同じ神の子にしている・・・
小羊が小羊を助けることはできないのか・・・
羊飼いに頼むしかないのか・・・(ひとりごと)
癒されていない者には赦すことはできません。
★そおか・・・
その人に”傷ついている人”というレッテルを張ったのは自分だ。
その人の光の部分を見ることが、自分の光を認識することなのか・・・。(ひとりごと)
あなたが赦す者となり、自分の兄弟と自分自身に救済を差し延べられるように、あなた自身を癒してもらってください。
修正の焦点は、あなた自身の外側の誰かに、つまり、この知覚の仕方が続くかぎりは、あなたの一部ではありえないほかの誰かに定められることになります。
あなたが自分だと知覚しているこの残りの半分に対して、あなたがそれが自分のもうひとつの半分なのだと認めるまで、聖霊はそのもうひとつの半分を象徴しなければなりません。
聖霊のたったひとつの目的が、あなたが二つに分離したものとして知覚している心の半分同士をひとつに結び合せます。
そして、あなたの心の半分同士は、各自が自分のもう一方の半分を自分の一部として受け入れられるように、相互に相手を赦すことになります。