他者は鏡の破片 L49
↑これは鏡の破片だったんだ。
上からどの破片を覗き込んでも、映るのは自分の顔。
それを他人だと思っていた。
↑上から覗き込んでいるのは、一つ(二つ?)の意識。
これが道教?の陰陽に分かれた丸いシンボルのことだろうか・・・
このとき、神のことは覚えていた。
でもすぐ帰ろうという意識はなく、帰り方さえすでにわからなくなっていた。
だからと言って、下にある鏡の破片を一度でも覗き込んだら、大変なことになる。何も分からなくなってしまう。という所だった。
この陰陽に分かれた意識のところまでは思い出した。
今度は来た道を帰る。
さて・・・どうやって・・・
でも実はもう帰っている。
そして
「長い、一瞬の旅だったねぇ~」と笑っているんだろう。
2018.5.25(金)
レッスン49「1日を通して、神の大いなる声が私に語りかける。」 - There Is No Spoon
自分の日常的な活動をどのようにも遮ることなく、1日を通して神の大いなる声に耳を澄ませることは本当に可能なことです。
静寂と平安が永遠に行き渡るあなたの心の部分と一体化するように努めてください。
深い静寂の中で耳を澄ませてください。
あなたはこの世界に生きているのではありません。
私たちは、あなたの真の故郷へと到達しようとしています。
私たちは、神に到達しようとしているのです。
★世界に対して目を閉じる(鏡の破片を見ない)
行く道は下を見ていた。
帰り道は上を見る。
★求めるものはすでにここにある。
”意識を向けるものはすべて得られる” という神の仕組み。
これほどの豊かさがあるだろうか。
これが神の子に与えた神の創造。
オマケ
14:30~
いじめられっこ ダイキ少年の『奴らに捧げるバラード』