ありがたくて、ありがたくて、ありがたくて
今朝、読んだ記事。
すべてが同じことを伝えてくれている。
人を変え、言葉を変え、それぞれのかたが、それぞれの表現方法で教えてくれている。
ハート(真の自己)と、肉体の自己との間には、
まったく、一切、なんの関係もない
今の僕たちは肉体の自己しか知覚できていないので
どうしても、肉体の自己をハートで満たそう、とか、
肉体の自己をハート(神)に近づけよう、とか、
肉体の自己でハート(悦)を感じよう、としてしまう。
そして、それがうまくいかないと、
自分はまだまだだ、と思ってみたり、
自分には何が足りないのか、と、
いろいろなマスターの情報を集めようとする。
ちがうのだ。
真の自己と肉体の自己はまったくの別物である。
だから、たとえ、どんなとりとめのない雑念の流れに
取り込まれたとしても、或いは、現れては消えてゆく
無意味な過去の記憶で無意識状態になったとしても、
そんなものは、真の自己とは全く関係がないのだから
ウツボカズラ大放出で、放っておけばよいのである。
そうして、神の子の自分に一点集中してゆく。
僕の場合は、みぞおちの奥のもう一つ奥に、
聖なる領域があり、そこにフォーカスする感じ。
あなたが、『自分』と認識しているものは『思い込み』です。
で、自分を認識している時、必然的に
”自分” と ”自分以外”
に分かれます。
この”自分以外”も、もちろん思い込みです。
「私」は「思考」の中にしか存在しないもので、それも「思考」のほんの一部が「私」というだけなのです。
「私」は断片的な「思考」を寄せ集めた「イメージ」です。これを
「自己イメージ」
と、呼びます。「私」の解体は、この「自己イメージ」を解体することです。
「自己イメージ」は、あるエネルギーのようなものよって支えられているんです。なかなか説明しにくいのですが、感情のエネルギーとも言えそうですし、感情を伴ったエネルギーとも言えそう。
このエネルギーを見つけ出して、深みに行きつつ感じ切ってしまうことが、「自己イメージ」の解体になって行くわけです
★この感情エネルギーについて
虚空さんの記事↓がとても参考になりました。
★何でいつまでたってもおんなじところでこの恐怖が消えないんだろうと思っていたときに読んだので、すごく納得しました。