エネルギー
ずっとずっと、もう何年も前から「エネルギーってなに?」って、聖霊に聞いていた。
今朝も。
そしてふと、
「罪悪感の根っこ」という思いが浮かんだ。
そこに光をあてて、神の愛、根源の光に変換する。(戻す)
そして、私は「光在れ」と言った。
ああ、これは昨日のレッスン
(L244世界のどこにいても、私に危険はない。---御名を呼ぶだけで、自分の安全とあなたの愛を思い起こします。)
この「御名を呼ぶ」ということが、「光在れ」なんだ。
光(神)からのエネルギーを間違った使い方をして、この世界が現れた。
一つ一つのもの、一人ひとりの人間、形に分けた。
自分が体感するいろいろな種類のエネルギーについて、聖霊に尋ねていた。
ずっとわからなかった。
幻想であるのになぜエネルギーを感じるのか?
なぜ、金縛りがあるのか?
人と人との交流エネルギー、想念エネルギー、
自分が作り出したありもしないはずの人物との間に、なぜエネルギーの交流があるのか?
<二重の楯>
二重の楯というのは
心の中の罪悪感と
世界の中の<特別な関係>です。(思考の逆転 p57)
この世界の人間関係はすべて幻想であり、意識を向ければ向けるほど、夢の中に入っていく仕込みなんだ。
↓この記事を読んだ時も、やっぱりそうか・・・と思いました。
このブログを始めた最初の頃は、プライベートも含めて、素直な心をかなり出していたのですが・・・。 ただ、プライベートを素直に出せば出すほどに・・・心の奥で、多くの人様とエネルギー交流しているような・・・そんな感覚が増していきました。 すると・・・だんだんと僕の心の中が騒がしくなってきまして・・・。 高次元の清らかなエネルギーをチャネリングすることや、より深い魂のエネルギーを表現することが難しくなってきたのです。
今朝、思った事をなんとか文字にしただけなので、まとまっていないし、まだまだ断片的な気づきだと思います。なのでまだ訂正や書きたしをしていくと思います。
<今朝のカード>
私には何も分からなくても、聖霊が確実に神のもとに導いてくれる。
ジーザスありがとう。
聖霊ありがとう。
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まず、神の国を求めなさい。
他にはまったく何も存在しない。
文字どおりの意味で、神はすべてにおけるすべてである。
癒しとは、あなたの兄弟の中に自我の存在を認識しないことによって、自我があなたの中に引き起こした危機感を忘れる方法である。
これによりあなたがた両方の中の聖霊が強化される。(T-7-4-7 p174)
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「 陰陽に分かれて、このエネルギー世界(物質世界)を作り出した私たちは、再び、陰陽合体して、光(神のもと)に帰らなければならない。」
先ほど、浮かんだ言葉(↑)
で、先日見た記事を思い出した。
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