言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

夢と実相の領域

6/23

 

 

 

 この「空即是色」の「色」が「美しく優しい夢」ということか・・・

 

 

 

そして最後の

「ギャーテイ ギャーテイ パーラーギャーテイ パラソウギャーテイ」

(越えて、越えて、更に越えて、彼岸に)が

 

「真理と幻想の境界線」(思考の逆転)を超えるという意味・・・?

 

 

 

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6/24 

 

ブッダが「私は悟った」と言ったのは、自分は幻影に参加しているのではなく

自分がすべての幻影を作り出していると気づいたという意味。

 

それからもう一歩進んで

すべてを作り出している心が、それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。

 

 

「神から分離したかにみえる心」と一つになることと

「神そのもの」と一つになることの違いが分かっているものはほとんどいない。(神の使者p56)

 

 

すべてを考えている心は一つの心で

この心は完璧に時空の幻想の外側にある。

 

この心そのものすらもまた幻想。(神の使者p60)

 

 

自我にとって一番の問題は「決断の主体」が空席になっていること。

 

第三分裂で第二分裂(決断の主体)に戻らせないために

「分離は起こった」と信じ込ませた。

 

更に

「罪のない自分」と「罪のある他者(神)」にわかれた。(思考の逆転)

 

 

 

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(余談ー思考の逆転を読んでいて気づいたこと) 

 

「私はこれと同じことをする自分を責めたいだろうか」と自問しなさい。(W-134)

 

このレッスンは私にとって、最初から壁になっていた。

 

なぜなら「責めたい!!」と即座に答えてしまうからだ。

 

だから、私は赦しができていない と ずーーーっと思っていた。

 

 

でも、今日、『思考の逆転』を読み返していて、

注:誰でも、本当に正直になるなら、この問いへの答えは

「責めたい」となるはずです。(p86)

 

 

「 えーーーーーーーー!!!」だ。

 

読み飛ばしていたのか???

それとも、

「責めたくない」となるはずです。

と書かれていると思い込んでいたのか?

 

 

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(思考の逆転を読んで)6.25

 

自我が罪という概念を作り出したということがわかれば、

自己概念AにもBにもCにも罪はなかったとわかり、すべてが赦される。(p110)

 

 

「私は赦されていたのだ」 

というかすかな安らぎと開放感。

 

神の子の心の中に罪悪感を受け入れたことが分離の始まりであり、

贖罪を受け入れることが分離の終わりである。(T-13-序)

 

 

 そもそも、

 

アダムが「自分を楽園から追放したのは父だ」と信じなかったら・・・・(T-p324)

 

これは「神を裏切っってしまった」という罪悪感の投影。

 

この感覚、すごくよくわかる。

そして、これをすべての人間関係でやっている。(さっと被害者になる)