夢と実相の領域
6/23
空即是色からはすべてが愛の領域・・・?
— 約束 (@i_chie_) June 22, 2019
この「空即是色」の「色」が「美しく優しい夢」ということか・・・
そして最後の
「ギャーテイ ギャーテイ パーラーギャーテイ パラソウギャーテイ」
(越えて、越えて、更に越えて、彼岸に)が
「真理と幻想の境界線」(思考の逆転)を超えるという意味・・・?
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6/24
ブッダが「私は悟った」と言ったのは、自分は幻影に参加しているのではなく
自分がすべての幻影を作り出していると気づいたという意味。
それからもう一歩進んで
すべてを作り出している心が、それ自身と完全に対立して神の側につかなければ。
「神から分離したかにみえる心」と一つになることと
「神そのもの」と一つになることの違いが分かっているものはほとんどいない。(神の使者p56)
すべてを考えている心は一つの心で
この心は完璧に時空の幻想の外側にある。
この心そのものすらもまた幻想。(神の使者p60)
自我にとって一番の問題は「決断の主体」が空席になっていること。
第三分裂で第二分裂(決断の主体)に戻らせないために
「分離は起こった」と信じ込ませた。
更に
「罪のない自分」と「罪のある他者(神)」にわかれた。(思考の逆転)
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(余談ー思考の逆転を読んでいて気づいたこと)
「私はこれと同じことをする自分を責めたいだろうか」と自問しなさい。(W-134)
このレッスンは私にとって、最初から壁になっていた。
なぜなら「責めたい!!」と即座に答えてしまうからだ。
だから、私は赦しができていない と ずーーーっと思っていた。
でも、今日、『思考の逆転』を読み返していて、
注:誰でも、本当に正直になるなら、この問いへの答えは
「責めたい」となるはずです。(p86)
「 えーーーーーーーー!!!」だ。
読み飛ばしていたのか???
それとも、
「責めたくない」となるはずです。
と書かれていると思い込んでいたのか?
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(思考の逆転を読んで)6.25
自我が罪という概念を作り出したということがわかれば、
自己概念AにもBにもCにも罪はなかったとわかり、すべてが赦される。(p110)
「私は赦されていたのだ」
というかすかな安らぎと開放感。
神の子の心の中に罪悪感を受け入れたことが分離の始まりであり、
贖罪を受け入れることが分離の終わりである。(T-13-序)
そもそも、
アダムが「自分を楽園から追放したのは父だ」と信じなかったら・・・・(T-p324)
これは「神を裏切っってしまった」という罪悪感の投影。
この感覚、すごくよくわかる。
そして、これをすべての人間関係でやっている。(さっと被害者になる)