犠牲ではない
<今朝の夢>
女性数人で車に乗ろうとしたが、定員オーバー。
そしたら、一人が(自分から)車の屋根に貼りついて乗った。
わたしは後部座席に座っている。
申し訳なくて涙がとまらない。
起きてからも、何の夢だろうと考えていた。
そうか、エゴ目線で見ると犠牲に見えるけど、そうではない。ということか・・・
私の周りには友人たちや仕事場でも、なぜかこういう人たちがいる。
カード:信じる気持があなたを救ったのです。
安心して行きなさい。
T16-3 教えの報い - There Is No Spoon
あなたの創造物たちは、聖霊を通してあなたとコミュニケーションを図っています。そして、あなたの創造物たちは、自分たちを生み出した故郷であるあなたに、あなた自身について教えるために、自らの持てる力とあなたに創造してもらったことへの感謝の念とを喜んで差し延べてくれるでしょう。
みんなと一緒なら、あなたにも、自分はただ自分自身に教えただけであって、自分がみんなと共有していた確信から学んだのだとわかってくるはずです。
あなたは、大いなる自己の持つ力やその強さや清らかさを学び、父が愛するように、大いなる自己のことを愛するようになります。
この大いなる自己の王国には、いかなる限界も終わりもありません。そして、大いなる自己の中には完全でないものや永遠でないものは何ひとつありません。
このすべてが、あなたなのです。これ以外のものは何ひとつあなたではないのです。
トラウマとどう向き合うか・・・
わたしは刃物恐怖症。特に剃刀と糸きりバサミ。
で、ずっと小バサミ(ハサミの小さいの)で糸を切っていたけど、能率が悪いので
昨日、糸きりバサミを買った。
先のとがったところが怖いので、削って丸くしようとしたが・・・結局、指切った。(笑)
こうしたトラウマになってしまった恐怖をどう処理したらいいか・・・
・恐怖と対面して、ひたすら見つめる。
今朝、やってみようとしたけど、その時の場面を思い出しただけで、身体が硬直して、即退散。
・「わたしは身体ではない。」
「これは起きてはいない。」
そのときは、「そうだそうだ」となるけど、エネルギーとしての恐怖は消えていない。
・聖霊と一緒に光の中でもう一度見つめなおす。
さっきやってみたら、恐怖なしで見ることができた。恐怖よりも聖霊への感謝で満たされた。
カード:「平和をもたらす人は幸いです。
彼らは神の子と呼ばれるでしょう。」
聖霊に捧げられる一瞬は、あなたのために神に捧げられることになります。そして、その瞬間において、あなたは神の中に静かに目覚めることでしょう。
その祝福された一瞬の中で、あなたは自分が過去に学んだすべてを手放し、聖霊が速やかに平安のレッスンをまるごとあなたに差し延べてくれます。
平安のレッスンを学ぶ障害となるものがすべて取り除かれているのだから、時間がかかることなどありえません。
時間のことは心配しないでください。そして、あらゆる恐怖心を取り除いてくれる神聖な瞬間を恐れることはありません。
聖霊を通して、あなたは神の祭壇の前に立ちます。神の祭壇において、聖霊は穏やかに地獄を天国に変容させてくれます。
完全に渡しきったとき、あなたは確信することになります。なぜなら、聖霊の証人は聖霊について実に明確に証言するので、あなたにはよく聞こえるし、それが理解できるようになるからです。
神聖な瞬間を識別するために、あなたにできるささやかな役割を今から実践しはじめてください。
それを実践するにつれて、あなたはきわめて明確な指示を受け取るはずです。
この一瞬を識別することを学び、その瞬間を時間のない状態として体験するにつれて、あなたは自分自身を分離していないものとして体験しはじめます。