言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

エネルギー問題

↑地球環境の話ではない(笑)

 

過去の出来事といっしょに、浮上してくる嫌な感情、

そのエネルギーを

「これは何何が起きたせいだ、誰誰のせいだ」とラベルを貼って、

(。・ω・)σ ⌒*ポイポイと外に放り出してしまった。

 

 

でもふたたび、それがふと上がってきたときに、純粋にエネルギーだけを感じてみると、エクスタシーだったりする。

 

そうか、、、エゴはこれを感じさせないためにこんな技を使っているのか。。。。

 

 

 

昨日、時間調整のために本屋さんで時間をつぶした。

その時に読んだ本が『われ在り  I AM』(ジャン・クライン)という本。

 

 

あなたの本質は、静寂、光、外線のない広がりです。

それは条件づけられていない存在、愛です。

 

あなたはエネルギーであり、空であり、光

 

あなたは真理であり何も獲得する必要はない・・・

 

と書かれていた。

(↑書店でメモった)

 

家に帰って、本と著者について調べてみたら、

 

カシミールの非二元ヨーガ ― 聴くという技法』

という関連書籍があったので、ちょっと読んでみようかなと思って注文した。

 

最近は本を買っても、最後まで読めなくなった。

本棚にそういう本がたまっている。

 

さて・・・この本の行方は・・・?(本棚のこやしになりませぬように)

 

 

余談~

カシミールのヨーギについて検索したら

エスとも関連があるらしい(ほんとかどうかはわからないけど)びっくり(゚〇゚;)

 

 

 

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3.17

対象は私たちの外側にあるわけではなく、潜在性として私たちの内にある。

そのため、エネルギーがどこか特定の方向に向けられることがなくなって「見られているもの」に力点が置かれなくなると、

その意志の働きとは関係なく自然に解消し、 「見ること」の中に消えていく。

かつては複数の軸を持っていたエネルギーが、一つの軸に集まるようになる。

これが意識への最短の道だ。

見ることの中で私たちは自分を見つける。

意識と知覚は一つであり、私たちの外側には何も存在していない。

聴くことが起こっている場所を特定することはできない。

それは空間と時間を超えている。

 

このように観察することのなかに、自分自身の完全なる不在があります。

それが自分の実在です。(『カシミールの非二元ヨーガ』 p28)

 

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3.18 

手放すプロセス p38~

表面にある緊張をある程度手放し始めたときに、

方向感覚を失った感じ、場合によってはパニックの感覚が生じたとしても、それほど驚く必要はない。

身体の慢性的な緊張や抵抗は、これが自分だと考えているものを守るために築き上げられてきた。

そのアイデンティティーを失うことに対する恐怖や、無防備さの感覚が生じる。

 

この恐怖が幻想の上に成り立っていること、

自己イメージ、自我には幽霊ほどの実体しかないことを理解すればするほど、自分ではないものを楽に放棄できるようになる。

 

 

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なんだか・・・奇跡講座を読んでいるような感じになる・・・

でも、後の章は『ヨーガ』とタイトルにあるように、ほとんどが

ヨガのエクササイズだ。

 

しかばねのポーズが最初に載っていたが、

 

身体が床に入っていくような感覚

床が身体に入ってくるような感覚

最後は身体と床が一つになる感覚 

 

というように、一般的なヨガとはちょっと違う。

 

 

 

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3.19

 ヨーガに見られるある種の二元的傾向についても、ジャンは懐疑的だった。

ヨーガは結合することというが、何と結合するのか。

私たちは初めからひとつだ。

そのことを見るだけでいい。(p190)

 

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spacemahoroba.blog134.fc2.com

純粋な非二元の視点から見れば、痛みも、苦しむ私も存在しないのですから、癒されたり目覚めたりするプロセスは存在しません。

ただ光だけ、ただスピリットだけが存在するのみです。

でも、そのことが本当にわかってくると、この現象世界の中では、過去の痛みが自然に癒され始めます。

自分の本質である、広がり、空間、沈黙の中で、苦しみを生み出しているエネルギーの収縮が自然と緩み、痛みが解放され癒されていきます。

すべては光なんだ、すべてはスピリットなんだ、という言葉、非二元のストーリーを信じているだけでは、癒しは起こりません。

逆に、非二元のストーリーを信じることで、痛みを見ることを避け、苦しみを長引かせているのです。

 

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身体、精神、世界はその真の光の中で、対象としてではなく、

意識とひとつのものとして認識される。

意識のほかに何もなく、神のほかに何もない。

 

自分を身体であるという視点に立つと、世界は形として現れる。

自分とは人格であるという視点に立つと、世界は精妙な形をとって精神として現れる。

そして、自分とは意識であるという究極の理解からすると、世界は意識にほかならない。(カシミール p208)