レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする。」
★この世界には何もありません。
あなたの意思だけがありますように。
御心のままに。
レッスン139「私は、自分自身のために贖罪を受け入れることにする。」 - There Is No Spoon
あなたは自分の心を、真理を知るものと知らないものとに分割してしまいました。
この世界で信じられていることで真理であるものなど何ひとつありません。
あなたに求められているのは、ただ受け入れることだけです。
というのも、あなたが何者かということは確実なことだからです。
自分の幸せだけではなく、それ以上のものを得るために私たちは来たのです。
自分の真の姿として私たちが受け入れるものは、私たちだけでなくすべての人たちの真の姿をも明らかに示してくれます。
あなたの兄弟を見捨てないでください。
さもなければ、自分自身を見捨てることになってしまいます。
そうすれば、彼らは自分があなたの一部であり、あなたが彼らの一部であることを知ることになるでしょう。
私は、自分自身の贖罪を受け入れる。
というのも、私は神に創造されたままの私だからだ。
私たちは、この知識をみんなのために思い出すことができます。
というのも、創造においてはすべての心は一体だからです。
そして、私たちの記憶の中には、私たちにとって本当は自分の兄弟たちがどれほど愛しい存在であるか、私たちのうちのひとりがどれほどみんなの心の大切な一部であるのか、
兄弟たちが実際にいかに自分たちに誠実だったか、
そして、私たちの父がどれほど大きな愛で兄弟みんなを抱擁してくれているかという思い出がよみがえってきます。
病める人を癒し、神の国は近づいていると言ってあげなさい。
これは設定です。私の真のアイデンティティーは愛です。
レッスン352「価値判断して裁くことと愛は正反対です。裁きからは、この世界のあらゆる悲しみが生じます。しかし、愛からは、神自身の平安が訪れます。」 - There Is No Spoon
赦しは、罪のなさだけを見て、裁くことをしません。
この赦しを通して、私はあなたの下へに赴きます。
裁きは私の目を曇らせ、私を盲目にしてしまいます。
父よ、今日こそ、私はあなたの大いなる声を聞いて、あなたの平安を見出すつもりです。
というのも、私は、自分自身の真のアイデンティティーを愛し、その中にあなたの記憶を見出そうと思うからです。
思いが先
★スピ・ジャン(p115)
祈り~
「わたしに何をさせてくださるのですか?
わたしをどこへ行かせてくださるのですか?
わたしに何を、そして誰に話をさせてくださるのですか?」(L71)
朝から首が痛かった。
首に手をあてて、「何があるのか観てみた」
昨夜から、(来週の予定に)防衛の気持ちがあることに気づいた。
本当に些細なことだったのだけど、「ああなったら困る、こうなったら困る」と勝手に予想して問題を作ろうとしていた。
それのもとには怖れがあることに気づいた。
そうか、いつも見過ごしていたけど、こんなところに怖れが潜んでいたんだ。
聖霊に頼んで、愛に変換してもらった。
「わたしは恐れではなく、愛を選択します」
そしたら「それは困る」が「何が起きても、自分が受け入れよう。愛そう。」にころっと変わって、問題は消えてしまった。
想像が問題を作り出して、現実化しているんだなぁ
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レッスン17「私は、何ひとつ中立なものを見ていない」 - There Is No Spoon
見ることのほうが先のはずだと信じたい誘惑に駆られるでしょうが、必ず思いのほうが先に来るのです。
よい働きでした。
あなたは神の忠実なしもべです。
★うふふ~♡~