あなたがすべてを決めてください。
ジーザス、あなたがすべてを決めてください。
そして、聖霊よ、わたしがそれに従うことができるようにしてください。
T5-5 エゴは罪悪感をどうやって利用するの? - There Is No Spoon
もう一度、聖霊もエゴも両方とも、あなたの中にあるということを思い出してください。
もしエゴが分離の象徴であるとすれば、エゴはまた罪悪感の象徴でもあります。
罪悪感は、神に対する攻撃の象徴なのです。
エゴとは、分裂を信じる心の一部分のことです。
あなたが自分の心に受け入れるものは何でも、あなたにとって現実味を持ちます。
あなたがそれを受け入れることが、それを現実にするのです。
これは、心には現実を創造することも、幻想を作り出すこともできるからです。
あなたは神と共に考えるようにならなければなりません。
「あなたは何を望むのか」という問いこそが答えられなければならないのです。
この問いに対して、あなたは一分ごと、一秒ごとに答えています。そして、あなたが決断する瞬間はどれもすべて、必ず効力を持つ価値判断となります。
朗読『奇跡のコース』#31 第5章 癒しと完全性 序論 - YouTube
5-3-3
あなたの兄弟を見る方法には、まったく反対の二つの見方があります。
その二つの見方は両方とも、あなたの心の中にあるに違いありません。
なぜなら、あなたは知覚する者だからです。
また、この二つの正反対の見方は、その兄弟の心の中にもあるに違いありません。
なぜなら、あなたは彼のことを知覚しているからです。
兄弟の心の中にいる聖霊を通してその兄弟を見るようにしてください。そうすれば、あなたは自分の中にいる聖霊を認めるようになります。
あなたは、兄弟の中にあると承認するものを、あなた自身の中にもあると承認することになるし、あなたは自分が分かち合うものを強めることになります。
5-6-11
私が「私はこの世に、光として来た」と述べたとき、私が意味したのは、私は光をあなたと共に分かち合うために来たということでした。
エゴの暗い鏡について私が言及したことを思い出してください。そしてまた、私が「その鏡を見てはならない」と言ったことも思い出してください。
あ、書いただけで更新するの忘れてた。
はい、これも御心のままに。
■
T22-6 神聖な関係の光 - There Is No Spoon
あなたは身体と心の一方を手段とみなし、もう一方を目的とみなすことになるからです。
手段は目的のために奉仕します。そして、目的が達成されると、手段の価値は減少し、役目を果たし終えたと認められたときに完全に姿を消すことになります。
この目的に奉仕するためには、身体が罪のないものとして知覚される必要があります。なぜなら、その目標そのものが罪のない状態だからです。
あなたたちが自らの身体を潔白さに奉仕するためにのみ使うことで、あなたたちはお互いによって聖別されて神聖なものとなるでしょう。
この神聖な関係は、その純真さゆえに美しく、その力強さは強大で、あなたが見ている空に輝く太陽よりもはるかに明るく燦然と輝きを放っており、あなたの大いなる父によって父自身の計画のための手段として選ばれています。
神の意志を自らの意志として神の意志に喜んで奉仕する者たちのことを、神は何ものにも邪魔させないようにしてくれます。
あなたは自分の兄弟の目を通して、自分の真価を理解するようになります。そして、自分を攻撃する者がいたと思いこんでいた相手の中に自分の救い主を見るようになるとき、一人ひとりが解放されることになります。
この解放を通して、この世界は解放されることになります。
このように目の前にいる兄弟を救い主と見ることこそ、平安をもたらすために、あなたに与えられた役割です。
あなたの父が愛しているものを思いやりをこめて見つめることは、ただ遍く万物に恵みを注ぐことにほかならないのではないでしょうか。
赦しを拡張することは聖霊の役目です。
闇に関心を向けてはなりません。闇から目を背けて、お互いに目を向けるのです。
そして、光を知る聖霊に闇を追い払ってもらいなさい。そうすれば、聖霊は、あなたたちがお互いを祝福する信頼と自信に満ちた静かな微笑みにその光を注いでくれるでしょう。
どちらが真実なのか決めるために答えられなければならない唯一の質問は、あなたたちは別々の異なる存在なのかどうかという質問だけです。
あなたたちは別々に異なっているものなのか、あるいは同じものなのかを、真理に決めてもらって、どちらが本当なのか教えてもらってください。
今日一日、わたしは自分自身でいかなる決断も下しません。
レッスン328「一番を得るために、私は二番を選ぶ。」 - There Is No Spoon
私たちの意志は神の大いなる意志なので、自分たちの意志に気づくためには、私たちは神の下へと進まなければならない。
あなたの意志以外の意志などありません。
2/13-1:30
今日一日、わたしは自分自身でいかなる決断も下しません。
7/13 - 5:30 ~
幻想の中に一つでも意味を見るなら、あなたにはすべての幻想が意味を持つものに見えることになります。
幻想の中に何の意味も見なければ、幻想はあなたに触れることもできないでしょう。
外見というものは実体のない見せかけのものなので、欺きます。
どんな形であれ、外見にいつもでもこだわらないでください。
外見は、現実を見えなくするだけであり、真実を隠すからこそ、怖れをもたらします。
騙されるために自分自身で作ったものを攻撃しないでください。
と言うのはそうすることで自分が騙されたことを証明することになってしまうからです。
攻撃には幻想を実在的なものにする力があります。
しかし攻撃が作り出すものは無です。
6:45~
幻想のおもちゃを静かに見つめ、それは虚しい欲望にあわせて踊るだけの偶像であることを理解して下さい。
そんな偶像たちを崇拝しないでください。
というのは、それらの偶像はここに存在してはいないからです。
彼の唯一の間違いは、それらの偶像が実在すると考えていることです。
外見が欺くことができるのは、騙されることを望んでいるマインドだけです。
あなたが一つの非常に単純な決断をする時、
すなわち、なんであれ、
偶像が与えてくれると自分が信じているものを、もう欲しいとは思わないことにする。
という決断をする時、
強力な変化が引き起こされたことが、あなたにはわかるでしょう。
T30‐Ⅴ‐7
兄弟たちが怖れの世界で目的において一つになるとき、
彼らはすでに実在の世界の縁に立っています。・・・
彼らがお互いの手をとった時、彼らが取ったのは「キリスト」の手だったからであり、彼らは自分たちが握っている「キリスト」を見ることになるからです。
「父」を思い出す前に「キリスト」の顔を見なければなりません。
というのは、「神の子」が赦しを超えて、「神の愛」に至るまでは、
「神」は必然的に忘れられているからです。
しかしながら、「キリストの愛」が最初に受け入れられます。
そして、それから、「彼ら」は一つであるという知識が訪れます。