言葉録

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、どうしたらいいかわからなくなってしまったとき、そんなときにパッと開いて自分を救う言葉があればいいなと思い、本や他人様のブログから(勝手に拝借して)載せています。m(_ _)m

あなたはただ、私の例ほど極端ではないとしても、誤って知覚しそうな誘惑に面したときに、私の実例に倣うように、そして、その誘惑を怒りを感じる正当な理由だと間違って受け入れたりしないようにと求められているだけです。


私の兄弟たちが、ただひとつの大いなる声だけを聞くという私の決断を分かち合おうとしないとき、私は残念に思います。なぜなら、ひとつの大いなる声だけを聞こうとしないことが、教師として、そして、学ぶ者としての彼らの力を弱めてしまうからです。


このことに選択の余地はありません。なぜなら、あなたがただけが神の教会の土台になることができるからです。


教会とは祭壇のある場所を指します。そして、その祭壇の存在こそが教会を神聖なものにします。

 

私は、このことが極端な事例においてさえも真実であると示すことを引き受けたのです。それはひとえに、それほど極端ではないにせよ、怒ったり攻撃したりしたくなるような誘惑に駆られる者たちにとって、私の実例がよい教えの助けとして役に立つはずだからです。

 

キリストの磔刑は、分かち合うことはできません。なぜなら、それは投影の象徴だからです。しかし、復活は、分かち合いの象徴です。なぜなら、神の子全体が自らの完全さを知るためには、一人ひとりの神の子がみんな再び目覚めることが必要だからです。


キリストの磔刑の伝える次のメッセージは完全に明瞭なものです。


愛だけを教えなさい。というのも、あなたは愛そのものだからです。


磔刑のメッセージ全体が伝えようとすることを単純に言うならば、私は裏切りを信じてなどいなかったということになります。

 

神の子同士がお互いに与える影響力には限りがありません。そして、その影響力は彼らが一緒に救済されるためにこそ用いられるべきものです。

神の子の一人ひとりは、どんな形であれ、拒絶することは無意味であると教えることを学ばなければなりません。

分離とは、拒絶するという観念です。

あなたが拒絶することを教えるかぎり、あなたは分離を信じることでしょう。

 

聖霊は、父なる神と分離した神の子たちとのコミュニケーションの絆であることを思い出してください。

 

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