内側を見てはいけない!!
春秋社
発売日 : 1999-04-20
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痛みの役割は、隠されていた感情を表現することではなく、その感情が意識に浮上してくることを防ぐことではないだろうか。 TMSの痛みは、本人の注意を、その時心で起きていることからそらすために作り出されたということになる。 抑圧された感情に対する防衛とは、 防衛を使ったカムフラージュの仕方は患者によって異なり、気分転換をはかることもあれば、気晴らしになるものを手に入れることもある。 身体の異常は、特に痛みがあり、恐怖心をわき起こさせ、 |
その感情を観ようとしてごらん。そして、実際に観てごらん。その感情は、観られれば消える。逃げずに、対面しようとすれば、それは必ず消えるのだ。だから、『恐い!』と思う時、パニックにならず、『私はあなたを観たい』と対面するのだ。『恐怖や不安の正体を知りたい』と対面するのだ。
— ”それ”は在る bot (@o0690oo) June 1, 2019
幻想を直視しない限り、誰も幻想から逃れることはできない。見ないでいることにより、幻想が保護されているからである。(T-11.V.1:1)
そして、幻想を保護せずにじかに見つめること以外に、どのようにして幻想を一掃できるだろう。だから恐れてはならない。あなたがこれから見ることになるのは恐れの源であり、あなたが学び始めているのは、恐れは実在しないということだからである。(T-11.V.2:2-3)
「愛」しかないから
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朝、起きて、
あれ?
肩凝りが、ない。
ない?
ない。
肩を触ってみてもやわらかい。
偶然?
たまたま?
あの本の書評に、読んだだけで痛みが取れた、ってかいてあったけど・・・
ほんとに?
私が昨日やったことといえば、
夕方、図書館で本を借りてきて、
夜、飛ばし飛ばし読んで、
ご飯食べた後、片づけるとき、
身体の声を声に出してみた。
「あーーー、めんどくさ!」
「あーーー、めんどくさ!」
「あーーー、めんどくさ!」 ・・・・(とまらない)
ずーーーっと、言ってる。
そんなにめんどくさがっていたんか・・・
お風呂出て、身体拭くときも、
「あーーー、めんどくさ!」
「あーーー、めんどくさ!」
「あーーー、めんどくさ!」
やりたくないことをやっているのに、やらなければいけないからと抑圧して、
無意識に押し込めた感情が、身体の緊張になっていたのか・・・?
今朝は
「やだやだやだ・・・」
「やだやだやだ・・・」
「やだやだやだ・・・」
なにが嫌なのか、覚えてないけど、
感情としてあるのはわかる。
こうして声に出すと、無意識が表に出る。
ただ、それを見るだけでいいようだ。
「内側を見なさい」ってよくいう。
だから、見なきゃって。
でもつかみどころがなくって何にもないんだ。
私はちゃんと見てないから見えないんだ
ずっと、そう思っていた。
もしかして、
空のようなものかもしれない・・・
空を見て何か見つけようとしていたのかもしれない・・・
遠いも近いも、深いも浅いも、、、
ないさ・・・
ただその時その時流れていく雲があるだけで・・・
雲は
「ねえ、見て見て」
「こーんなのつくってみたよ」
「いいこと思いついたよ」
「こんな本読んだよ」
「こんなふうに思ったよ」
空の中で、「ねえ、見て見て」って
空が
「見てるよ」
「いつも見てるよ」って
そうすると、満足して消えていく。
雲が次々に流れてやってくるように、雲が決して活動を止めないように、思考や想念という雲は絶えず流れているのである。青空を流れる雲に捕らわれてはいけない。それを自分だと勘違いしてはいけない。
— ”それ”は在る bot (@o0690oo) June 3, 2019
(なんとタイミングのよいbotでしょう・・・)
空に意識を漂わせているときには、身体のことは忘れている。
そうか、
痛みに限らず、身体で感じるものすべてが、意識を身体に引きつけるためなのか・・・
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6.4(火)
「愛」以外は、すべて幻想で、
宇宙人、霊界、自我、、、、
意識を向けたものに、かまわれる。
(その中に、「愛」だけを見れば、「愛」以外は消えていく。
興味をもったり、防衛すれば、ストーリーが展開しリアルになる)
世界が愛しくなる話 後編 "感情との関わり方"編 『LINE@質問回答』
病気は偶然の出来事ではない。全ての防衛と同じように、自分をだます為、狂気のでっち上げである。レッスン136より
— 奇跡講座・神の使者ほかbot (@s555hoshi) June 6, 2019