観ているものとは・・・観察者と観照者の違い
<観察者と観照者の違い>空白JPさまのブログより勝手に拝借 m(._.)m
https://ku-haku.jp/kansatsusya-kansyousya/
観察者が暇になって、瞑想を止めたときに、観照者があらわれます。
エゴが感情に飽きていくとどうなるか?
どうなると思いますか?
観察者が暇になってくるんです。
エゴがエゴであることに飽きてくるんですね。
そうして、頭の中にでてくるエゴも少なくなってきます。
そうすると、観察者の仕事がどんどんと減ってくるんですね。
そうすると、あまり、集中力を高めなくても、
十分に無心を保てるようになってきます。
わざわざ、座って瞑想をするまでもないような状態。
観照者があらわれるのはこういうときなんです。
エゴもなく、ゆえに、観察者もどこにも集中していない状態。
そのときに、観照者があらわれます。
観察者が集中力鋭く、エゴを観察しているうちは、
観照者とはなにかを知ることはできないと思います。
エゴが消えているだけでは、だめなんですね。
エゴと観察者、どちらもが消えてないといけないんです。
なので、エゴをネガティブな存在だと認識しているうちは、
観照者を知ることはできません。
大事なのは、エゴでいることに、エゴに飽きてもらうことなんです。
そのためには、苦しいですが、
あえて、エゴの感情と一体化するというのもとても有効だと思います。
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Art The Oasis of ZeroさまのYoutubeより勝手に拝借 m(._.)m
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この本当の「自分じゃないもの 」を取り除いていく
自我だ、エゴだ、承認欲求だと言われて、あってはいけないもののような醜いもののように思い、自分の中から追い出そうとしていたもの
苦しい、痛いとうったえかけてきている感覚
それらの声を「ウニヒピリ(潜在意識)の声」として、慈しみをもって聞いてあげると
本当は、「ただただ愛してほしい」だけでした。
子どもが「ねえ聞いてねえ聞いて」「見て見て」と言ってるのと何も変わらないのでした。
私はウニヒピリの声を聴いて、癒して、
「ごめんね、今まで無視し続けてきて」
「よくがんばったね」と肩をさすってあげました。
そうやってウニヒピリを癒していくとハートの感覚が少しづつ戻ってきました。
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サトウヒカリくんのYoutubeから拝借 m(._.)m