一体であることと、個性について
★これは幻想だから、と言って
幻想を見ないようにして、避けていたけど、
実は、見るのをとても怖れていて、逃げ回っていた。
耳をふさいで、目を閉じて、いつも警戒していた。
しっかりと見て、「これは幻想だ」と見抜かないと赦しは起きないのかもしれない。
反応してはいけないと思っていたけど、
思考を看過することと、ごっちゃになっていたのかもしれない。
この世界での配役について
★今、一体であることと、個性について考えていたので、こちらの答えを用意してくれたのですね。
以前に、プリズムの譬えをお話ししました。そこでは、ばらばらになった多様な色合いたちは、全て混じり合って一体化しないと、本来の純白の光線にはならないということでした。
そして、私たちが、ばらばらに隔絶した身体に幽閉された個別の心として限りある命を生きていると思い込んでいるのは幻想で、真実は、みんな一体で一つの神の子であるということでした。
そもそも個別の身体という入れ物があり、その中にばらばらになった個別の心が入っているというのは幻である点で、一様に幻想として同等であるという意味もあります。
また、真の姿が一体となった一なる心であるという点では、個別の心としての自分も他者も大いなる自己の一部であるという点で、他人に見えていても自分だという点で等しいということです。
コースが、聖霊に従う場合に知るべきだという自己は一人の神の子を指す大いなる自己ということでした。
この大いなる自己に気づくには、個別の自己が抱くエゴが個別の自己につけさせている仮面を取り去っておいた方がより真理の光に同調しやすくなるという意味で有益でしょう。
その上で、コースは、ほかの誰かに自分勝手な役割を振り振って、それを果たせないと言っては非難するのではなく、兄弟はあなたに助けとなるチャンスを与えてくれているのだと気づくことを求めます。
この世界にいる家族であれ友人であれ、見知らぬ他人であれ、その人たちは、あなたに幸せを運ぶ役割を負って存在しているのではなく、反対に、あなたが助けとなる機会を提供してくれているのだと。
つまり、あなたが腹を立てたくなるような不快な出来事を運んでくるたびに、そのつど、あなたが嫌ったり憎んですらいるかもしれないその人は、あなたに助けとなるチャンスを差し延べてくれているということです。
その助けとは、その兄弟こそ、自分の救い主であるということに気付いて、みんなが一体となった神の子は無罪であるというメッセージを伝えることに貢献することです。
※テキスト 第二十九章 四 夢の中での役割
「4. あなたが怒るとき、それは誰かが、あなたの割り当てた役割を果し損なったときではないでしょうか。
そして、誰かがあなたの与えたその役割を果たし損ねたことが、あなたの攻撃が正当化される「理由」になるのではないでしょうか。
あなたが好きだと思う夢は、あなたの与えた役割が果されている夢であるとか、あなたに自分に必要なものとした物事が満たされている夢です。
問題は、あなたが夢に与えた役割が存在するという観念そのものであって、それから恐れが生じてくるのです。
あなたにとって楽しいことは、エゴにとっては苦しいことです。そして、あなたが本当の自分に疑いを持っている限り、あなたは喜びと苦痛とを混同することでしょう。
神を代弁し、あなたの役割を知る聖霊に、全ての決断を任せてください。
そうすれば、聖霊はあなたに、神の子を愛さずにいたり、神の子に愛の代わりに罪悪感を教えたりすることによって、あなたが自分で背負い込んできた不快な重荷を下ろすことを教えてくれることでしょう。
※テキスト 第十四章 五 贖罪の輪
「2. 誰もがみな、贖罪において果たすべき特別な役割を持っています。しかし、一人ひとりに与えられたメッセージは常に同じものです。それは、神の子は無罪だということです。
一人ひとりが、神の子は無罪だという同じメッセージを様々な形で教えます。そして、一人ひとりが、その同じメッセージを様々な形で学びます。
※テキスト 第二十二章 六 神聖な関係の光
「8. あなたは自分の兄弟の目を通して、自分の価値を理解するようになります。そして、誰もがみな自分の兄弟を見て、自分を攻撃する者ではなく、自分を救ってくれる人だと見るようになれば、解放されます。
目の前にいる兄弟を救い主と見ることこそまさに、あなたに与えられた役割であり、この役割しかありません。
★赦しについてもちゃんと書いてある。
聖霊さん、今日もすごい!!