神の中で神を探す
シダが勢い良く伸びてきた
サンショウ
4月初めごろ、息子が園芸店でシダとサンショウの苗を2個ずつ買ってきた。
おいおい、それうちにあるっしょ
えーーー!
4月初め、たしかにまだ今のように目立つほど葉を出してはいない。
私たちは自分の中を見ずに、手っ取り早く外に探しにいく
神の中にいながら、外に神を探しにいくという
このようなことをしているのだろうか
神の中にいながら、神を探すということは不可能なことをしているのかもしれない
すでに愛の中にいる
胎児が母親のおなかの中で羊水に浸っているとき、
母との一体感の中で心地よくすべてに満たされているのだろう
だが母親を認識知覚することはできない
母親を認識知覚するためには、母の胎内から出て、分離しなければならない
ところが、生みだされた赤ちゃんは「お母さん、やっと会えましたね。ずっと会いたかったんです。」とはならないのだ(笑)
それがわたしたちなのか・・・
・・・・・・・・・・・・・
ゴマちゃんが今、私の前に座ってずっと話しかけてきた。
何が言いたいのか
「わたしは選んでここに来た」
「わたしは選んでここにいる」
といった。
犬の散歩にいくとゴマちゃんの兄弟たちをたまに見かける
私はゴマちゃんが母親や兄弟といっしょにいるほうが幸せではないんだろうか
仲間のところに帰りたいんじゃないのだろうか
ひとりでさみしいんじゃないのだろうか
いつもそう思う。
それに対する返事を返してくれたのだろう。