すべてを赦すということ、すべてを受け入れるということ
最近は、
拒絶について反応する自分について思っていた。
ニューエイジはだめ
引き寄せはだめ
ワクワクはだめ
すべて自我を喜ばせるだけ
それはそうかもしれない
だけど、そこに拒絶のエネルギーがあったら宗教と同じじゃん
赦してないじゃんって。
そして、今朝、サトウヒカリさんの動画を見ていて
そうか、それさえも赦せばいいんだ。
受け入れればいいんだ。
って思った。
— 約束 (@i_chie_) 2019年4月3日
彼は全てを受け入れる姿勢、全てを赦す姿を見せてくれている。
そして、よく赦すという言葉や、聖なる出会いというなじみ深い言葉も使うが
まったく教義として言葉としてではなく、姿として見せてくれている。
今の若い子は、もうそれを生きているんだなぁ・・・
ああ、それから
二元はだめ(幻想)で
一元が本当の世界っていう概念も、
知らない間に判断基準にしていた。
たしかに、そういえば、
一度はっきりと現れた背後の存在は、
一切の判断、いい悪い、がなく
まるごとすべてを受け入れていた。
観ていた。
ただ観ていた。
無責任な奴だなぁ~と思えるくらいに(笑)
『令和』という新しい時代
教義の時代は終わったんだな…
ああ、最後に、いま、
サトウヒカリさんが、ツイッターをされているのを知って読んでいたら、このツイートを見た。
この記事にぴったりの言葉
完璧だ!!
全ては赦されたこと。
— ヒカリノウタ (@hikarinouta48) 2019年3月10日
許せないことがあることも、赦されたこと。
氣楽にいこう♪