われ在り I AM
この本を読んでいると、深ーく呼吸している
ちょこっと読んでは目をつぶる
だから、まだ半分ちょっとしか読めていない。
途中、”観ているもの”って映画に例えると「スクリーン」みたいだな・・・って思った。
”私(登場人物)”が「どうすればいいですか?」って聞いたところで
指示しない。
ただただ映し出しているだけ。
登場人物には一切干渉しない。
この ”観ているもの” が ”本当のわたし” だという
いやいや、こいつ、本当に、、ただ観ているだけで、なにもしないよ・・・(笑)
じゃぁ・・・
それらすべてを映し出している ”光” は?
わたしたちは ”光” のほうだよねぇ・・・
考えてもわからないや・・・
ハートにいこ
ああ、ここは安らかだ・・・温かい・・・
そうか
色即是空
の空がスクリーンで
空即是色
の色が光であり、わたしたちであり、実在か・・・
"【第1回 後半】暗号は解読された般若心経 解説セミナー/2014年2月2日/難度3" を YouTube で見る https://t.co/fgCNuzBAgI #Y
— 約束 (@i_chie_) 2019年4月9日
「初め、見ると山があった。(主体と対象の山)
次に見ると、山はなかった。(主体と対象がない)
その後で見ると、ただ山がある。(対象としての山ではなく、一体性の表現)」(中国の禅僧 青原惟信)(われ在りp140)
あなたに信じる気持ちがカラシ種一粒ほどでもあれば 、
山に「ここからあそこへ移れ」と言うだけでそうなるでしょう。(お~~~ぃ、ちがうぞ~~~)
(瞬間移動で消えたんじゃないから!色即是空の話です。)(笑)
夕方、この携帯で息子にSMSメールした。
— 約束 (@i_chie_) 2019年4月12日
「洗濯物入れといて」って。
そしたら、しばらくして息子から電話がかかってきた。
でも声が全然違う。
「あのぉ、洗濯物入れといて、っていうメールをいただいたんですけど、どういうことでしょうか?」って
ああ、そういえば、息子昔一度電話番号変更したわ
(他にも変更や未登録の電話番号がないか確認したら
結構あったわ。)
”私”という主体が現れることによって、
”他者”という客体が現れるのじゃよ。(←あんただれ?)
見るものと見られるものと光
https://ameblo.jp/japan-mission/entry-12040798913.html
ノラ猫ごまちゃん
— 約束 (@i_chie_) 2019年4月12日
目で見るごまちゃんは、ごまごまで、なにがなんだかわからない模様。
手で撫でるごまちゃんは、柔らかくて、フワフワで。
ハートで見るごまちゃんは、存在として、在って、ただ愛しい。 pic.twitter.com/K3JdNBadto
対照が意識の表現であると認識されると、
その実体は知識、すなわち生ける静寂、平和、透明性の中へと消えてゆきます。
この光は、対象が現れる以前から、ずっとそこにありました。(p141)
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(長くなったので、ここから『われ在り I AM その2』 として、再投稿します。)
自分を一つの人格とみなすことは、その他の多くの習慣と同じ、ただの習慣です。(われ在りp151)
奇跡とは習慣であり、意図せずに起こるべきものである。(T1-1-5)
何かをしようとするのはほとんどが自我で、
瞑想にしても「瞑想しよ」って、自我がする。
じゃ、自我がしない瞑想って、、、
”習慣瞑想” か!?
「無為にしてなす」じゃ(by老子)
「無理にしてもなす」(by自我)